秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

遠まわりの雨

前日のスタッフ会議で、助監督のYの目の具合が一層ひどくなっている。
 
副じんにできた良性の腫瘍の摘出手術は来月に予定しているが、その前に白内障の進行の方が心配になってきた。
 
制作のアシスタント連中も仕事があって週明け動けない。ということで、久々撮影許可や道路使用許可といった助監督連中がやる仕事までやることになってしまった。
 
助監督を変えればいいことだが、どうも、そういうことがオレはできない。現場作業のかなりの部分がやれないのだが、撮影の流れをとらえる力は、自分でも監督をやる分、秀でている。それを無碍にはできない。
 
負担はかかるが、そういうときは互いが支え合う。監督であり、プロデューサーであるオレが身をもって示せば、秀嶋組はそれで文句をいう奴はいない。
 
率先垂範(そっせんすいはん)という言葉がある。
 
言葉であれこれ指示をするのではなく、上に立つものが、その姿、行動で部下に手本を示す。怒鳴りつける前に、自分がやる。その姿を見せる。面倒な仕事を押し付けるのではなく、面倒な仕事だからこそ、自らその面倒さに手を染める。
 
そのことによって、面倒な仕事、面倒な関係、面倒な話に及び腰になっている仲間の気持ちを正し、前向きなものに変えることができる。とオレは信じている。
 
朝、久々に運動に出て、イチョウ並木の色づき具合を確かめる。午後、テレビのスイッチを入れると、オレが見損なっていた、芸術祭参加、山田太一スペシャルドラマ「遠まわりの雨」をやっていた。
 
いま不況のどん底にある大田区蒲田の工場街を舞台に、国内で屈指の技術を持つ、鋳型製造の職人とかつてその男と愛し合った、工場の妻との許されない愛のドラマ。
 
面倒な仕事をやりがいがあると引き受け、また、面倒な過去の恋と改めて向き合う。
山田太一らしい、ストイックな男のドラマながら、『マディソン郡の橋』を思わせる、大人の恋心がせつないほど丁寧に描かれていた。
 
面倒くさいことに向き合っているからこそ、簡単に深い関係になれない。男は、行きずりの関係になろうと誘われた町で出会った女にも、不倫の恋でもいいと、深い関係を望む、かつての恋人にもいう。「それはあんまりだろう…」。
 
傷つける自分の妻や相手の夫。それに対して、男は「あんまりだろう…」という。
 
あんまりだろうとわかりながら、求めずにはいられない。だが、実直すぎるがゆえに、あんまりだろうと自分の心に枷をはめ、葛藤する。
 
自分だけが幸せであればいいという考えからは、この面倒な葛藤は生まれない。なるほど、確かに、それは、いつも、遠まわりの雨のようだ…。