秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

見えないものを信じる力

見えないものを信じる…それは大人になればなるほど難しくなる。
 
社会常識や組織の慣例、習慣…いまでは少なくなったが地域の常識、家のしきたり…といったものが身につくほどに、見えないものを信じる力は落ちていく。
 
そもそも、教育というのは、途轍もなく不遜な行為なのだ。
 
人が本来性として持っているものを矯正し、いまを生きる人々が認めている社会や国、世界のシステムに適応するように従順さを植え付け、大人たちが望むあり方に子どもを洗脳する…厳密にいえば、教育というのはそうした側面と本質を担っている。
 
ゆえに、かつてこの国では皇国史観を基本として戦争を起こすことができた。イスラエルVSアラブ、とりわけパレスチナ紛争が和平へと向えない根源にも、憎しみを基本とする教育が続いているからだ。オウム真理教地下鉄サリン事件もマインドコントロールという教育によって生み出されている。
 
だからこそ、教育には選択の自由や多様な尺度が必要になるのだ。
 
大人がよしとする正しさだけを子どもに教えるのではなく、大人がよしとする正しさを含め、多様な選択を提示し、自らの学習と試行錯誤によって、ある普遍的な価値へたどりつけるようにする…それがせめても、教育にできる危険回避の道なのだ。
 
80年代後半のバブル、その後の空白の10年、そして、新自由主義の導入によって、この国には拝金主義が徹底された。勝ち組、負け組などという差別用語を平気で人々が言葉にし、かつ、学歴や出身、外見、家柄、収入をよりどころとした、いわゆる属性によって異性を値踏みするという言語道断の婚活なるものがトレンドになった。

その中で、失われたのは、いうまでもない、見えないものを信じる力だ。
 
宗教精神の希薄なこの国で、それは至難の技であることはわかっている。が、しかし、人の可能性や未来志向、困難や試練に遭遇してもくじけない、人としての矜持は、見えないものを信じる力によってでしか獲得できない。
 
それを世界の人々が、確かめ、確認し合うクリスマス。見えない愛の力が人々にとってどれほど必要な時代か…それを感じ合う時間。今年は一層、その意味が深まっている。
 
クリスマスイベントと無縁な人間は、今年の整理と来年の計画のために、連休はこんな雑誌をよみふけるw
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