秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

時流を読む

時勢や時流を読むことと、時勢や時流に乗ることとは違う。
 
人は、基本、勢いのあるものに弱い。時勢や時流というのは、いわば、ひとつの勢い。だが、それが、5年先、10年先、人々を幸せにするものかどうかは別。その冷静な値踏みを油断させるのも、また、時勢や時流の勢いというものだ。
 
ある意味、時の流れに身を任せるというのは、そう難しいことではない。多くの人々が同じ方向、同じ加速度の中にあるのだから、それに抗うよりは抗わない方が楽に決まっている。つまりは、自立や独自性といったものを一旦棚上げにできれば、容易なことなのだ。
 
世の中が急激な変化を迎えるとき、時勢や時流というのは社会を変える力になる。しかし、同時に大衆の熱狂が生む危うさとも背中合わせだ。時勢や時流の奥に潜む、一過性の情熱や迎合を見抜き、勢いの中にあっても、状況を読む冷静さが何よりも必要。
 
変化や変革を成功させる秘訣はそこにあるといってもいい。
 
簡単にいえば、うかれ気分はいつもまでも続かないし、うかれ気分では変化のあとのシステムをつくりあげることはできない…もっといえば、裏切られるということだ。
 
オレがいろいろなところで、情感優先の状況が生まれることをひどく嫌うのはそこにある。
 
心情や熱意だけでは解決できないことが、平時になると必ず登場する。ゆえに、孫子は語ったのだ。「乱にあって、治を忘れず。治にあって、乱を忘れるるなかれ」。
 
確かな情熱というのは、無手勝流をいうのではない。強い熱意を胸の奥に抱きながら、緻密で繊細に、意図する目的へ自らも、そして、人心も導引する力をいう。

橋下市長が率いる大坂維新の会。勢いがある。しかし、その構成メンバーは多くは地方議会議員や市長、知事によって構成され、それを支持しているみんなの党は旧自民党議員が大半。大坂維新の会に共感をよせている小沢派には、原口氏が会長を務める、日本維新の会があるが、これも国会議員と地方議員で構成されている。
 
成否はともかく、地方から中央を変えるという姿勢はいい。しかし、国民が求めているものの本質は、既存政党や政治家にはない。選択肢がない中での選択…というのがオレの見方だ。
 
橋下氏や原口氏がいう、道州制の導入はオレ自身の願いでもある。だが、その道州制が再び市町村の行政をはがいじめにし、市町村合併や整理を行わない保証はどこにもない。それは小泉、竹中がやった地方共同体の崩壊への道につながる危険もある。
 
政治家の眼ではなく、市民の眼から…とオレがいうのはそれをいっている。だからこそ、いま、市民が市民足りえる学習と自立が必要なのだ。
 
お仕着せの政策に熱狂する危険をもう二度としないための道は、そこにしかない。それこそが、震災後の日本をつくる次の次の時代を拓く道になる。