秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

もう壊されるものなんかない

乃木坂…というと、よく知らないという人が結構多い。
 
オレが乃木坂という場所と言葉を知ったのは、小学生の頃、テレビで放送された、映画。嵐勘十郎主演の乃木大将を描いた作品だった。
 
当然ながら、乃木坂という言葉は、乃木大将が妻と自刃するまで住んでいた家があったことからそう名付けられている。いまも都の指定文化財として当時のまま遺されている。ちなみに、乃木大将の菩提を弔い、遺徳をしのんでできたのが、乃木神社
 
そのあと、目にしたのは、大学受験浪人時代読んでいたNOWという雑誌の中でだった。
 
よみきりのエッセイが売りだったが、ファッションでは、IVYのトラッドファッションを中心していて、千代田線地下鉄の乃木坂駅のホームサインをバックに、ツイードのスーツを着た男性モデルが立っている写真があった。そのファッションと乃木坂駅というサインが奇妙に相性がよく、かっこよかったのを覚えている。
 
もうひとつは、吉田拓郎の、♪いま、乃木坂あたりでは…というくだりがあった唄。いま世界のジャズシンガーとなった由紀さおりがそれを歌っていた。どこかこじゃれた街…そんな歌詞の印象だった。

オレが乃木坂で生活するようになって15年近くになるが、その間にも、乃木坂はずいぶん変わった。周辺の六本木の再開発、防衛庁跡地のミッドタウン…。それに連動するように、古い、味合いのある店もいくつか姿を消していった。阿久悠の歌に出てくるジョージの店はその代表かもしれない。

オレがいま通っている地酒の店ハンナも30年近く地元でやっている店。店主も高齢というのもあって、あと5年もするとそうした店もなくなっていくと思う。

昭和初期から戦後まで、この一帯は、陸軍第一連隊、第三連隊、近衛第三連隊など東京在中の陸軍部隊の兵舎と下士官の官舎があった。昭和のクーデター、初の革命運動が起きた2.26事件は、この連隊が起こしている。ちなみに、いま、青山ツインタワーのある青山一丁目の駅には、師団司令本部があった。外苑には近衛連隊。
 
まさに、軍人の街だったのだ。だから、3月10日の東京大空襲では下町同様、この一帯も激しい空襲に襲われた。死者不明者の数は多数に及び、いま246号線になっている道路には焼死体が転がった。

いまや東京のハイセンスタウンの代表になっている青山通り。そこには、素敵な店が並んでいる…
 
この間、いわき市を訪ねたとき、久ノ浜や海岸線には津波を避けるためのグリーンベルトがつくられるという話を聴いた。当然、そこにあった町や村はその場所には再建されない。かつて人々が笑い、泣き、励まし合ったり、なぐさめあったりした場所が全く違う場所へと変貌を遂げていくだろう。
 
それととも、そこに生きた人々息遣い、いのちの残像も消えていくのかもしれない。しかし、そこに遺された声、思い、願いは見失ってはいけないだろう。そんな写真とFBで出会った…。
 
イメージ 1

写真提供:相双ビューロー 様
撮影地:福島県南相馬市原町区北泉
撮影日:2011年4月3日

アートディレクション:池端達朗
コピーライティング:モードデザイン