秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

私たちの望むものは…

情感や情緒だけで、政治や社会を変えることはできない。それは一瞬の花火にはなりえても、新しい政治、社会の仕組みをつくろうとするとき、場合によっては、心情を発露とした、狭隘な正義感や思い込みが目を曇らせるからだ。
 
現実のある断面をみて、それで世界を理解したと思い込まないこと。それに必要なのは、冷徹といってもいい冷静さ…とオレは思う。理論や理念、それに基づく想像力の大切さも、そこにある。
 
しかしながら、政治や社会を変えていくエネルギーに、情熱や熱意がなければ、何事も始まらないというのも、紛れもない事実だ。

いまこの国は、その事実とビジョンの谷間で右往左往している。右往左往しているのは、既成価値の中ですべてを取り込もうとしているからだ…とオレは思う。
 
被災地、被災地した人々のことを思う。それは大切な思いやりだ。だが、それがただ、気の毒だからと物理的支援、人的支援、あるいは精神的支援だけで終わっては、次がない。次がないから、政権や東電への不満だけで終わる。
 
なぜなら、あなたは、ずっとその地で、その人たちと共に生きることはできないからだ。いや、中には、今回の体験や経験から、生涯を人々と共に生きようと決意した人は、関わり方の深さの違いはあれ、いるだろう。
 
しかし、それですら、被災した人々には、これから多くの変化、いままでとまったく同じというわけにはいかない、生活の変更がくるだろう。そうした中で、人々の意識も、求めるものも変わってくる。その違いを含めて、これから先、彼らと同伴できるかを、あなたはやがて、選択しなくてはいけなくなる。それは、いまの思いとは違う選択になることだって考えられる。
 
まして、地域を生きる主役は被災した人々だ。その人たちの自立なくして、地域の復興も回復もない…とオレは思う。
 
阪神淡路大震災の後、復興を政治主導で急ぐあまり、地域のネットワークが寸断され、地域共同体の枠組みが大きく変わってしまったと指摘された。それも、高度成長期の発想で、すべてをインフラ整備という形だけに求め、人を主役にしなかった結果だ。
 
自分たちの支援は、あくまで自立のための支援。海外での支援活動を含め、最後に到着するのは、そこでなければ、そこに生きる人たちが自信と勇気を持って前へ進むことはできない。自らの手で自分たちの共同体、地域を立て直すことはできない。
 
いままでがこうだかったから、こうするべきだ。いままでのやり方でうまくいってたのだから、同じやり方でいいはずだ…。あるいは、なぜ、いままでできたことができないのだ…という中にいれば、情感や情緒に心は動かされる。
 
復興の青写真にせよ、少し先を見た取り組みにせよ、同じ発想で事片付くほど、この回の震災は簡単ではない。そこに、同じように、いままでの経験ではこうだかったからという発想では、ビジョンそのものがすぐにぐらついてしまうだろう。そして、その揺らぎを支えるために、情感や情緒に戻り、あれがよくない、あいつが悪いと互いの非難の応酬が続くことになる。
 
だが、それは被災した人々への本当の意味の支援にはつながらないし、確かな明日を築いていくことにもつながらない…とオレは思う。
 
高校のとき、こんな歌が流行った。岡林信康の「私たちの望むものは」。ハッピーエンドという後に、日本を代表するロックバンドになった連中をバックに歌われた。
 
1番目の歌詞は、仲間たちへの呼びかけ、そして、2番目の歌詞は、自分たちを既成の常識や価値に縛る大人たちへの呼びかけだった…。