秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

自分たちで時代の幕をあける

震災後、いろいろなベクトルが変わった…ということに気づけない人は多い。

国の制度やシステムがこうした震災にいかに鈍感で、即応力にかけていたか。自治体の力がいかに脆弱だったか。それは民主党政権だからそうではなく、この国の政治全体がそもそもそうだったということだ。
 
これは単に震災や津波の防災といったことにとどまってはいない。にもかかわらず、そこにとどまらせたいと…人々はどこかで思っている。
 
自分たちが選択し、帰属し、依存している組織や人間関係が、実は、自分たちが思うほど、強くもなく、かつ自在でもなく、そして、互いが救いあえるほど深くもなかった…といった現実に向い合うのが怖いからだ。
 
国政に携わるものも、地方政治に関わるものも、政治家であることが形骸化し、実行力のない国政や地方自治を長くつくり続けきた。復興の遅れを批判するものも、明日への夢や希望の持てるビジョンを打ち出せないものも、すべて等しく、無力であり、無能だった。
 
政治がそれを深く反省していなように、人々も、また、いままでの政治やこの国のあり方を根本から見直そうとはしてこなかった。
 
自分の生活の安穏だけ、組織の安泰だけ、地域の安全だけにこだわった生き方が、もはや成り立たない、許されない時代に入ったことに気づけない。この国も自分たちの生活も立ち行かないという現実がじわじわと迫っているのに…。
 
しかし、人々はまだ、政治の力、地元議員や地元選出の国会議員たちの力に頼ろうとする。無能を露呈している政治を当てにする。帰属している組織や権威に依存する。
 
だから、意図して、自分たち市民の力で、自分たちのための組織、地域や国をつくろうと踏み出さない。政治家に頼むのではなく、政治家を自分たち市民の中に取り込むことをしない。

土日と二日、いわき市内でもっとも被災のひどかった地域、薄磯と豊間の合同慰霊祭に参加。
 
別に招待されたわけではない。これからいわき市との協働をやる、ひとりとして、最初にじかにふれた被災地の慰霊祭には、人として参加すべきだ…そう思っただけのことだ。
 
そして、被災された方の声を改めて聞いた。地域のとりまとめ役をやる自治会の区長さんに思いを聞かせてもらい、オレたちの活動の紹介もしてきた。二つの地区で死者不明者合わせると200名を越えている。その中には、100日経ったいまも、いまだ遺体のみつからない人もいる。
 
被害の大きかった仙台以北の地域の被災情報で一時よく流されていたように、ここでも、眼の前で津波に呑まれていく、よく知る人々の姿をただ、見つめているしかなかった人たちがいる。まだ乳幼児の孫を亡くした高齢者もいる。逆に高齢ゆえに逃げ遅れた人もいる…
 
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「さっきまで、昨日まで一緒にいた人が…朝になれば、あいさつを交わし、いつものように隣にいた人が一瞬にしていなくなる…また会えると思って当然な人がそのときから顔を見ることさえできない…そのつらさは言葉にしようもない…」
 
と弔辞を述べたある区長さんは、母親、妻、子どもを亡くしていた…
 
 
「自分の悲しみなんかに、とらわれている暇はなかった…この地区の人たちのためにやらなくていけないことが多すぎた…」
 
震災後、瓦礫の中を父や母、子どもの名をさけびながら、瓦礫の中を家族、親族、隣組、近在の人々の声が、昼夜を分かたず、この塩屋岬をのぞむ、狭い海岸線に聞こえ続けた…
 
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いわき市の都市再生プロジェクトは、海岸線にあった住宅を避難場所となっていた小山を整備し、そこに一気に移転させる計画が立ち上がっている。「二度と同じ被害と悲しみを生まないため…」。そう力強く語ったのは、参列していた政治家でも、行政関係者でもない。
 
国、自治体には、復興へ向けた支援を強く訴える。が、しかし。自分たちの安心安全なまちづくりは自分たちで考える。そして、地域の絆を失わないよう、みんなで山の上にまとまって地域を再生する…
 
道筋と方向性、考え方と行動は、オレたちが、オレたちの手でケリをつけてみせる!
死んでいった人間たちの前でそう誓う、その力強さは、死んでいったものが、もう一度、この土地に生まれたい…そう願う地域づくりへの意欲があるからだ。
 
その言葉は、理屈でなく、自分たちで時代の幕を開けるしかないのだと…直感していた。