秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

中途半端な配慮はいらない

女性問題でいろいろもめるとき、そこに複数の男性がからんでいるとしよう。
 
昔からいわれていることだが、男の友情やつながりを反故にしてまで、いずれかの男性が女性を自分のものにする(女性人権運動家はこういう言い方をきらうがw)という場合、基本、男同士のつながりはぎくしゃくする。しない場合は、女性をものにできなかった男性の方に包容力がある場合に限られる。
 
ぎくしゃくした場合、大方、普通の男なら、男性の友情やつながりは早晩、ダメになる。しかし、恋愛関係ができた二人がいい感じでいけるかというと、実はそうでもない。男性も女性も、ひとりの人間関係を失うことで、そこに付随するその他の人間関係も失うことが少なくないからだ。結果、世界は、それまでより狭くなる…ということが起きる。愛は成就できても、それは決して、二人を丸ごと幸せには導いてはくれない。
 
愛さえあれば…なんていうのは、所詮束の間のことだから、世界が狭まったことの欠落感はいずれ襲ってくる。
 
逆に、複数の男性の世界から、女性がいなくなる…ということができた場合。女性がいなくなったことで、男性同士の友情やつながりは維持できる。いずれにも女性がだれにも帰属しなかったことで、男性同士の間の葛藤は消滅するし、女性をものにできなかった喪失感も共有できる。男同士でなければ語り合えない欠落感を語り合うことができるようになるのだ。
 
複数の男性の心を乱す女性が現れたたら、その女性を遠ざけろ。これが男の世界の教訓。だが、そうやすやすといかないのが男と女の関係というものだ。そこに仕事やなにがしかの活動が加われば、簡単にはいかない。しかも、こうした教訓が使えるのは、複数の男性同士になにがしかの密接な関係がある場合に限られている。
 
人は、こうしたとき、男女を囲むいろいろな事情や状況、周囲の関係について考え、簡単に結論は出せないとか…いろいろな事情があるからこなったとか…語り出し、物事を複雑にする。
 
だが、物事を複雑にしているのは、言い訳をみつけたいだけのことだ。自分がこうしてしまったのは、ただ、そうしたかっただけのこと。いろいろな事情があって…というのは、一見当然のようにみえて、実は、そこに事情などはない。心がそう動いただけのことだ。
 
しかし、男も女も、事、恋愛のことや異性問題のことになると、そう言い切ることができなくなる。それは相手やその他の人間の感情を考えてのことだろうが、結果的にそれは人を欺いていることになる。
 
要は、心がこう動きました。ごめんなさい。がいえないのだw
 
ああでもない、こうでもないと取り繕い、突っ込まれ続けると、最後には、もうムリ!とキレるか、撤退してしまう。要は真実を語れないから。これでは、物事、複雑にさせる。
 
所詮、男女の思いなど一つになるはずもなく、かつ、同性同士で友情などといっても実に頼りないものだ。恋が成就する、しないよりも、言い訳やごまかしをやっているよりも、その頼りない関係に少しでも真実を持たせる方がはるかに気持がいい。中途半端な配慮などより、自分たちの心の真実に素直な言葉や態度の方が、からくも成り立っている人との関係をよい方向に導いてくれる…
 
ということに気づけた方が人を失わずにすむ。