MOVEと共同体社会
ロンドンの暴動が治まらない…
やっとのことで、首相を退陣させるための法案が国会を通過する見通しになったが、それもいわば、世界経済の不安定化という外圧を受けて、法案に反対していた自公とマニフェストの修正をしぶっていた民主が折り合いをつけざるえなくなったから。
そこには、高い政治理念に基づく議論や被災地、被災者への深い理解や震災後のこれからへのビジョンがあったからでもない。
ずいぶん前からいっているように、グローバリズムという名を借りたアメリカ一極主義は湾岸戦争の頃から凋落へ向かっていた。にもかかわず、マネーゲームという実態経済とはかけ離れたゲームをアメリカは続け、それがここにきて、単なるゲームに過ぎないことを世界に露呈しただけのことだ。
これまでの世界経済の常識や図式がもはや通じない。先進国といわれた国々が意気揚々と歩いていた、自由主義経済が根底から覆される時代に突入した…
しかし、その現実を俯瞰した眼でとられられている人間は、いまの国際政治、国内政治の主要人物の中で何人いるだろう…きっと、いないに違いない。
圧倒的な豊かさは少ない代わりに、相互扶助、公助、自助のしくみによって、生活者、市民の暮らしを底割れさせないという共同体社会の精神とシステム。それを見事に成立させた世界でも稀な国、それが日本だった。
いや成立させたのではない。江戸時代から、本来、日本人は資源循環型社会をつくっていたし、そうした生活を当然のこととして生きていた。近代化…という言葉に西洋がつくように、欧米主義を追随する中で、それを失っていっただけのことだ。
オレがやっているMOVEの活動の先にあるのは、実は、この共同体社会を新しい形で再生させようとしている試み。そもそも、共同体社会は、国、行政によってつくりうるものではない。地域やそれ以下の町会、区会といった人の絆を基本として形成されるものだ。
いま、そうした向こう三軒両隣の関係が奪われている。だから、それを補完するものとして、市民同士が距離のタガをはずして、つながれる基盤をつくりたいと考えている。
MOVEは一見、被災地支援の活動のように思われているかもしれないが、これまでのフォーマットが崩れてしまったからこそ、改めて、市民同士がつながれる基盤が必要な状況が被災地には生まれている。それを被災地の人々が理解できているか、いないかにかかわず、その時代が、天災によって、否応なく、押し寄せているのだ。