秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

人として、もっとも卑怯なことだろう

この国の市民運動の草分けになったのは、70年安保前夜に誕生した、べ平連(ベトナムに平和を!市民文化団体連合)。
 
政治学者の高畠通敏や哲学者鶴見俊輔が、作家で代々木ゼミナールの講師をしていた小田実を代表に担ぎ出して1965年に発足させた。
 
しかし、この組織、学生、社会人といったいろいろな階層の市民が全国規模で集まったため、統一した社会基盤を持たず、かつ、運動理論の支柱となるものがなかった。生活を基盤とぜず、ムードを基盤としていた。
 
進歩的であるけれども、過激派のような武力闘争に踏み切れるだけの強固な組織でもなかったし、かといって、政党として結党するといった中心軸もなかったのだ。
 
当時の学生運動からは、へタレ中のへタレ集団と揶揄されたし、やったといえば、リーダー格の幾人かがマスコミを賑わし、本を上梓し、反戦フォークソングを歌い、やがて、それが商業主義にリンクして、テレビを賑あわせたくらい。
 
過激派のような暴力性がなく、かつ、かっこよく政治や体制を批判し、弱者救済をいう。微妙に頭がいいものだから、論も立つ…といったところがテレビには好都合だったのだ。
 
他の学生運動もそうだったが、終わってみれば、未来に受け継ぐ運動の骨格や思想は何ひとつ残さなかった。
 
いまこの国の首相は、その市民運動から登場してきている。
 
だから、取り巻きに辻元清美湯浅誠といった、権力を持つと弱者救済どころか、私は、オレは内閣府の人間だぞ! 政治家だぞ! と息巻くような傲慢きわまりない、元市民運動家を集めている。
 
基本、この国の市民運動は、狭い範囲の階層や地域での権利主張しかやってきていない。広くこの国、世界の中で、自分たちがとうあるべきかなど、考えてきてはいない連中ばかりだ。そうした教育もトレーニングも受けていない。単にかっこよく政治や評論の中心にいたいと切望していたような連中。
 
それこそ、談合や圧力団体を批判されたかつての自民党経世会のノリと本質的には何ら変わらないのだ。それがただ、彼らが弱者と規定する一部の人々の生活保障を盾にしているだけのこと。
 
世界各国の思想家や運動家の先進的な取り組みや考え方をまねるのはうまいが、狭い視野しかない連中が言葉だけで、正義や正当性を語り、実現実行するだけの能力がない。つまり、政治ができない。官僚が動かせない。
 
そんな連中が政治の中枢にいて、国の舵とりをするというのは、抱腹絶倒を越えて、空恐ろしくなる。
 
というのが、実は、菅政権の実態。
 
東北の被災地を回り、辞めないでといわれて、すぐに豹変し、延命を図る。被災者の側からすれば、すぐにでも手の届く支援をという思いが強い。ある意味、それが被災者の弱さというものだ。
 
それを巧み利用するというのは…これ、どういうことよ。と、思うのはオレだけだろうか。人の心の一番弱いところに付け入り、自分の政治家としての権威を保とうとするやり方は、政治家である前に、人として、最も卑怯なことだろう。
 
菅直人よ。きちんと眼の前にいる、永田町の政治家たちに立ち向かえよ。
 
何にでもすがりたい、被災者の弱みに付け入って、それを味方につけるような卑怯なやり方を、お前の好きな高杉晋作がやったか?