空から雨が降れば
自分の未来はだれにもわからない。
厳密にいえば、明日、いや1時間後、自分がどうなっているのか。どういう境遇におかれているのかを人は知らない。
人の毎日やいまという時間はそれほどあやうく、不確かなものでしかない…にもかかわらず、人は毎日やいまがずっとそこにそうしてあるとどこかで信じている。信じたがっている。
生活の苦しみや悩みを抱えている人は、それがこれからもずっと続くのだろうと、だから、どこかで諦めたり、疲れきったりする。また、ひょいと調子よく暮らす人は、この調子よさがこれからも約束されているのだろうとどこかで思い込んでいる。
そうしたとき、いままでと違うことが自分の現実にあらわれたとき、それに気づかないふりをして、現実を受け入れず、いまという毎日を同じように繰り返そうとする人がいる。
あるいは、現実から逃れるために、眼の前に直面したそれに背中を向けてしまうという人もいる。
また、現実に向ってせめぎ合い、事をせいて、かえって、自分の現実を重くする…という人もいる。
また、現実に向ってせめぎ合い、事をせいて、かえって、自分の現実を重くする…という人もいる。
ことほどさように、人というのは、毎日やいつもが崩れると、心乱れ、落ち着かなくなる…というようにできているらしい。
オレもこれまで、何度その心乱れ、落ち着かなくなることを経験してきただろう。若いときや元気のあるうちは、それに立ち向かう気力で押し切れるが、年齢を重ねると、ああまたか…とより深く落胆したり、力が抜けたりするものだ。
しかし、結局、そうした結果を導いているのは自分。因縁果報というように、そこにはすべて因がある。わかっていても、変えられない自分の性格や言動。わかっているが、心の弱さが導く過ち…
それがもう糧になると言い切れるほど、若くはなくなると、きっと人は自分が情けなくなるのではないだろうか…
そんなときは、こんな歌はどうだろう…