秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

善は急げ

もっともやりたいことが後回しになる。後回しにせざるえない。というのが、私のほとんどだ。
 
といあえず、眼に入った現実を素通りすることができなように、いまこのとき、それを片付けなければならないものがあれば、それを確実に片付ける。
 
むろん。そうしたことは、さておいて、棚に上げて、とりあえずのお茶を濁して…先へ進もうといったことは私にはできない。
 
自分が逆の立場、逆の状況に置かれたときのことを考えてしまう。
 
あるいは、かつて、そうした状況に追い込まれたときに、無視せずに、手を差し伸べられた経験や文句や不満、怒りをぶつけてもいい人たちが、それをせずに、猶予やチャンスをくれた経験があるからだ。
 
どんな人でも、すべてではなくとも、ひとつやふたつ、あるいはいくつもそうした経験をした人は少なくないと思う。
 
そのことで、自分の歩く道がちょっと遠回りになったとしても、あるいは、予定より時間を食ったとしても、そうすることが人として、当然のこと、そう考える方が、じつはえるものは大きい。
 
あるいは、こちらに犠牲を強いられるのも、何か自分自身にも問題があったからだ…
そう行動し、考える方が、学びも大きい。
 
だとすると、とりあえずはやらずに、いまに集中し、いまなすべきことを果たそう。私はそう考える。そして、せっかくやるのだから、相手にとっても、自分にとっても心地よいものにしよう。そのためにいま、自分にできることはやろう。私はそう行動する。
 
結果、自分が忙しくなるw だが、それでいいのでないだろうか。
 
なにか名声や世間の評価をえるために、なにかの代償を求めてそうしているのではない。最終的に、自分がやりたい、果たしたいと考えることの実現のためだけに、そうしている。

そして、とりあえずにしなかったいろいろなものと人が、その私の実現したい世界に生かされる。
 
善は急げ。これは確か。だが、それが善であるかどうかは、人智の及ぶこところではない。ならば、急がば回れの気持で、善を求める方がより、善は急げにつながるのではないだろか。