秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

不具合なコピー

10日・11日の「いわき協働プロジェクト」に向う前日だった。

中学生たち12名ほどに、被災地の被災現場や避難所にいる方々、子どもたちのコメントを見せた。
 
それを見た幾人かは、映像を見て、涙を流した。テレビの報道ではもっと悲惨な映像も見てきただろう。しかし、きっとそこにはいろいろな解説がライブでなかったに違いない。
 
家庭でそうした映像を見れば、家族みんなが言葉をなくす。言葉があっても、何かの方向性に向った会話にならないだろう。あるいは、そうした報道がつらいからと、悲惨な報道にはふれないようにした家庭もあったと思う。
 
現実に、震災後まもない頃、連日流される被災地の報道で、心を痛めた人、せつなさに心が打ちひしがれたという人は少なくない。
 
特に余震が毎日続き、被害も出た東京やその近郊では、高齢者がショックで入院したり、女性が体調を崩すということが起きた。不眠に悩まされた人は少なくない。
 
取材した裏側の映像には現れていない部分を解説しながら、また、取材したオレ自身の気持ちも告げながら、現地の映像を見せると、子どもたちは、自分の心で受け止め、そして考え、いま自分たちに何が必要なのか…何を受けて止めていかなくていはいけないかが、わかる。
 
それは、大人が想像する以上だ。
 
仕事柄、中学生や高校生とじかに話す機会が多いということもあるが、この10数年。時代も環境も違う中で、彼らの声を聞き続けて、つくづく思うことだ。

オレたち自身、自分たちが中学生や高校生だった頃のことを思えば、すぐにわかること。方向性やヒント、何かの火だねを与えられれば、そこから自分たちで考え、考えたことを必要と思えば、言葉にもしたし、行動にもした。
 
場と機会が与えられれば、いまの子どもたちも同じようにする。しかし、大人になって行く中で、子どもたちにその力があることを大人はふと忘れてしまう。そして、自分の経験や失敗から、安全だと思う方向へ押し出そうとする。つまりは、押しつけをやる。
 
方向性を与えることは大事だが、こうでなくてはいけない…という決めつけはよくない。こういう方向の方がいいのでは…しかし、選択するのはお前の自由だ…といった幅がなくてはいけない。
 
いずれ、大人の世界に踏み込めば、こうではくてはいけない…という枠組みは否応なくくる。そして、そうならない、そうできない自分と向き合うことになる。そのときの耐性は、なぜ、こうでなくてはいけないのか…と考える力なのだ。
 
それには、方向性を示しつつ、ちょっと考えてくれないかというアドバイスがいい。そうすれば、子どもは大人が思う以上に、妥当な選択をする。安全とは思えない選択でも、そこにエクスキューズをきちんと設ける。
 
逆にこうでなくてはいけないということを幼い頃から仕込まれる方が、こうでなくてはいけないという硬直した物の見方、考え方にとらわれてしまう…とオレは思う。
 
それが、いまの社会では、大人同士でも必要な時代だ。大人が幼くなったからではない。そういう経験や教育をされてこなかったからだ。
 
不具合なコピーはコピーを重ねるほどに、不具合の度を増す。
 
そのことに気づきを持つ。そのことをオレたちは震災から学ばなくてはいけない。