秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いままでと同じであってはいけない

福島全域、そして仙台、石巻の被災地を回り、いろいろな人と出会い、いろいろにふれあい、そして、いろいろな意見や考え方にもふれながら…
 
しかし、やはり、思いをよぎるのは、人の世のはかなさであったり、いい加減さであたり、愚かさ、賢さ、小賢しさ、あるいは逞しさ…そして、そのようにしか生きる方法や受け止める方法をしらなかった、オレたち自身のいまであったりした。
 
日常の些細さの中に埋もれ、日常の当り前に生き、それでいて、それが失われることも、奪われることもないという安心の中で、わずかな広さの視野しか持てず、そうあることで不自由であることもなく、日々の雑事に一喜一憂しながら、それを幸せと思えた時間…
 
だが、それは強くもあるが、もろくもあるという現実にオレたちは直面し、そしてなお、直面し続けなくてはいけない。

未曾有の震災があっても、どこかで今日も殺人事件は起き、どこかで子どもへの虐待は生まれ、たれかがだれかを傷つけ、差別し、排除するという現実は少しも変わっていない。それにすこぶる無関心のまま、今日を生きることが尊いのだという言い訳と現実が足早に過ぎる。
 
政治は相変わらず愚かしく、マスコミは自分たちの責任は棚上げにして、スケープゴートを探し続ける。人々は情報に振り回され、マスコミと同調し、操作され、それを疑わず、自らがいかに無知であることにも気づけない。
 
そんな時代のそんな地球で、何かを生み出すこと、新しい未来への地平を築くことは、とても孤独な作業なのかもしれない。共有できない思いの中で、それでも何かを信じて前へ進もうとすることは、とてつもなくさびしい仕事なのかもしれない。
 
いままでと同じであってはいけない。その思いだけが人を支える。
 
自分の行く先に、何があるのか…それを疑う人は被災地にも、そうでない地域の人でも少なからずある思い。だが、それは不安というより、どこか諦めに似ているのかもしれない。
 
孤独な諦め…それも支えるのは、いままでと同じであってはいけないという確信だけだ。いままでと同じように笑い、いままでと同じように語りながら、しかし、いままでと同じであってはいけない…その覚めた確信だけが、いま、もしかしたら、唯一信じられるものになるのかもしれない。