いわき市とともに歩こう
Social Net Project MOVEの活動の柱としようとしている「福島を救おうプロジェクト」。その姿が次第にはっきりしてきている。
土曜日の朝から今日の夕刻まで。「福島を救おうプロジェクト」との第二弾支援取材活動を実施した。その大きな動因となったのは、前にも紹介したいわき市にあるタウン情報「月刊りぃ~ど」を発行する、いわきジャーナルのSさんとスタッフのみなさんとの出会いだった。
土曜日の朝から今日の夕刻まで。「福島を救おうプロジェクト」との第二弾支援取材活動を実施した。その大きな動因となったのは、前にも紹介したいわき市にあるタウン情報「月刊りぃ~ど」を発行する、いわきジャーナルのSさんとスタッフのみなさんとの出会いだった。
また、前回、原発20キロ、30キロ圏内から会津の避難所に移動した方々に支援物資を届けたとき、こちらが予想していた、こういう支援物資が求められているのではないか…という予測が的中したこともあった。
今回は、いわき市内にある40か所の避難所の中から、平市にある草野小学校にまず、顔を出し、そのあと、いわきジャーナル、SさんやいわきジャーナルのエースAさんの意見を伺い、いわき市内の汐見が丘小学校、江名小学校、四倉高校の三か所を回った。
今回は、いわき市内にある40か所の避難所の中から、平市にある草野小学校にまず、顔を出し、そのあと、いわきジャーナル、SさんやいわきジャーナルのエースAさんの意見を伺い、いわき市内の汐見が丘小学校、江名小学校、四倉高校の三か所を回った。
食事のあと、会津へ向かい、宿泊した菊屋旅館の女将さんからは、風評被害の現実やまだ、マスコミに報道されていないある情報もいただいた。会津では、原発地域からの避難市民とのやむえない軋轢も生まれてつつある…という現実も聞かされた。
そして、前回、支援物資を届け、お話を伺った避難所2か所を巡回し、同じように支援物資をお届してきた。前と同じように、施設内にアナウンスをしていただくと、あっというまに支援物資に輪ができ、またたく間に物資がなくなった。
「いわき市の支援を考えています。手伝ってくれませんか…」。単刀直入にそういうと、話を聞いてくれた専務理事のYさんが、「ご連絡をいただければ、いつでも…」と快く承諾してくださった。
不思議なものだ。いわきジャーナルのSさんに始まり、Sさんが紹介してくれたいろいろな方と出会い、そして、支援活動の中で出会ったこうした方たちが、オレがいまプランしている活動計画と次々につながっていく…。