福島を救おうプロジェクト -あなたたちはどこを見てるのか-
「避難先の学校で、子どもが地元の子どもたちから、バイ菌、移る…といわれ、いじめにあっている…」
「避難先での生活が長引くので、就職面接を受けたが、福島出身とわかると、面接を断られた」
「安全確認がされていても、福島産というだけで、農作物が受け入れてもらえない…」
「乳幼児がいるが、本当に水道水は大丈夫なのか。不安でまだ、天然水を購入している」
じわじわと広がる福島差別と深まる原発への不安…。相談の多くがそうした問い合わせだったという。
オレがなぜ、まず福島の支援プロジェクトを最初に模索したか。
それは、福島が被災だけでなく、原発事故によって二重、三重の困難に直面していたからだ。同時に、原発誘致によって原発依存型の地域になっていたいくつかの自治体、住民の意識に、この社会の責任と自立のあり方を問う、ひな形を見ていたからでもある。
そして、オレは、忘れられていた被災地、避難勧告や警戒地域でもないながら、半径50キロ以上というギリギリの線引きの上にある、いわき市と出会った。
半径30キロ圏内への地域、住民への手厚い保証や避難対策に比べ、震災においても、原発による風評においても、大きな被害を受けながら、その実態を知られることもなかった、街だ。
東電や国から膨大な補償によって原発を受け入れ、その受け入れた自分たち自身への問いと責任もなく、東電や国に罵声を飛ばしている原発地域の一部住民とも違い、沈黙する樫の木のように、幾重にも襲った困難に立ち向かおうとしている、いわき市の人々だ。
会津では、原発半径30キロ地域の住民を受け入れ、避難所のほか、ホテルを開放している。ホテルなど避難所に比べれば、恵まれた環境にありながら、避難した人々がこぼす不満や愚痴を耳にして、心を砕いて彼らを受け入れようとしている地元の人々との間に、静かに、しかし、はっきりと軋轢が生まれようとしていた。
そればかりか、会津では、食料不足が始まりつつある。これまで以上の生活者数になれば、食料が不足していくのは当然のことだ。しかも、避難所や避難所になっているホテルへ優先して、高級米などを配給している。会津市民の方が、食料不足の不安を抱き始めてさえいる。
オレたちが宿泊した旅館では、高級こしひかりが底をつきつつあるという話を聞いた。そればかりか、ハローワークに就職相談にいっても、避難生活者を優先してあっせんしている。そのため、地元で生活に困窮している人たちが、就職相談にも乗ってもらえない状況が生まれているのだ。
マスコミも政治も、そうした実態を見ようとも、知ろうともしていない。原発からの避難者、30キロ圏内の住民や自治体の大変さや苦労ばかりを取沙汰し、彼らの保証要求を満たすことが当然であり、それが最大限優先されるべきだという、通りいっぺんの正義を語っている。
被災しているのは、原発地域の住民だけではない。それを受け入れている地域や住民も、二次的三次的被害の中にある。現に、会津は風評被害によって観光は大ダメージを受けている。農作物への不安は、季節風が変わるこれからだ。
人々の関心や注目が集めやすいところにだけ、目を向け、自立を促すのではなく、依存心や驕慢さを助長するようなコメントや対策ばかりをやっている。それは、ただ、マスコミだけでなく、日本国民全体の風潮としてもそうだ。
人々の関心や注目が集めやすいところにだけ、目を向け、自立を促すのではなく、依存心や驕慢さを助長するようなコメントや対策ばかりをやっている。それは、ただ、マスコミだけでなく、日本国民全体の風潮としてもそうだ。
FBの中にも、そうしたアホな輩は少なくない。実態や現実を見よう、学ぼう、知ろうともせず、大仰な非難ばかりを繰り返す。そんなところに、いま被災地ばかりでなく、その周辺に広がる、ある空気感を読み取る力は、ない。