秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いつかわかるときがくるだろう…

報道カメラマンのUさんと知り合ったのは、企画した映画の取材だった。

映画の企画については、詳しく語れないが、重要な舞台になるのが、アフガニスタン。ご存じのように、タリバンによる自爆テロや宗派間の対立が依然続き、外国人の誘拐、身代金要求などまだまだ政情不安が続く国だ。
 
Uさんは、アフガン空爆の最中、首都カブールに入り、以来、毎年独自のルートでアフガンに取材にはいっている。外国人ジャーナリストのほとんどが入国できない中、それは稀有だ。テレビで人気の戦場カメラマンは、安全の確認がとれないから、実はアフガンに入れてない。推して知るべし。
 
あるNPO団体に取材にいくと、アフガン支援事業を行っている大手企業の担当者とカメラマンのUさんを紹介された。二人とも、いっちゃっていた(笑)。
 
話はトンドン拍子でまとまったのだが、オレのテスト原稿がなんのかんので進んでいない。実は、現地のシナリオハンティング(台本を書くための事前取材)が必要な壁にぶつかっていた。
 
数日前、その映画の企画の進捗状況を尋ねる電話をUさんからもらい、あれこれ話していると、オレが数カ月前から取り組み始めた被災地支援と同じようなことをすでに始めている。いっちゃってる奴は、考えることも似ているらしい(笑)。

結局、まずは、いまUさんが支援している活動に同行して映像取材する話になる。彼を支援している大手企業でも、アフガン支援をやるくらいだから、被災地支援に自分たち企業でできることをと考えていたのだろう。その企画が、オレが被災地で取材したいと考えていたことと重なっていた。
 
同伴できるオレの仲間で一台車を用意し、Uさんの現地でのネットワークを取材しながら、そのネットワークをオレが考えている支援の輪とリンクできればと思っている。
 
まだ治安の問題はあるが、年内にアフガンへこれも同行取材できればという話に。Uさんも報道カメラマン。現地をこの眼で見なければ…というオレの監督としての思いはよくわかっている。だが、命の保証のない取材。いろいろと検討しなければならないことが多い。それについては、アフガンの情勢を見ながらということに。
 
昨夜、Uさんのアトリエに着くと、Uさんは、まだおらず、30分ほど遅れるという。そういった、若い青年としばし、被災地支援のことやアフガニスタン情勢のことなど語っていた。
 
若いその青年、Uさんに同行して、福島原発陸前高田石巻気仙沼周辺の被災地を回ってきたらしい。福島原発では、2キロ地点までいっている。
 
その青年が、東電批判や政権批判ばかりをやっているいまの報道や福島差別をやる首都圏在住者への怒りを語りだした。現地にいて、実状を見るにつけ、若いがゆえに思うところがあったのだろう。不思議なことに、オレがFBやブログで語っていることとほぼ同じ。
 
若い連中の感性は実に鋭い。オヤジたちの方がそれについていってない。このところ、常に感じることだ。
 
優秀だなと思った。彼自身はいまブラジルにいて、2月に日本に一時帰国してたら、震災に遭遇し、Uさんの手伝いをするうちに、いますぐにはブラジルには戻れないと感じたらしい。
 
「もう少し、現地が落ち着くまで、支援物資を集めたり、持っていく手伝いをしようと思います。現地を見ると、ブラジルに帰るというわけにはいかなくなりました…」

Uさんがやっているのは、その場その場で偶然出会った人とかかわりを持ち、そのかかわりで、支援をやるという超勝手なやり方(笑)。だが、それが大手企業や団体の手の届かないところの支援につながっていることを、彼はわかっている。
 
しばらくして、わかったことだった。彼はUさんの息子さん。ああ、Uさんはこういう子どもを育てたのなと思った。Uさんが現れると、実にぶっきらぼう。おそらく、親子の会話の中では、オレに話したような話はしていないのかもしれない。
 
「アフガンや被災地支援にすぐに飛んでいく。どこか変な人じゃないとやれないですよ」。笑いながらいった彼の言葉の意味がわかったような気がした。

オレも好き勝手をやって、息子にはさびしい思いや不安な思いをさせてきた。その分、奴はオレなどよりバランスのいい子どもに育った。育てたのは母親だ。おそらく、それに似た世界がUさんの家庭にもあったのではないかと思う。
 
家庭を大事に考えて生きる。それは大事なことだと思う。しかし、男でも女でも、それと同じくらい社会的な活動の中で、何か他者や地域、社会、あるいは世界のためにできることがあれば、自分を振り返らずにやらざるえないときがある…とオレは思う。

それがいいことがどうかは、離婚を経験したオレにはわからない。しかし、自分の心がそれを使命と感じたら、進むしかない。そんなヘンや奴らの力がいろいろなことを変えていく。Uさんは、将来ビジョンを設計できるような人ではない。いまあることやるという人。そこに1年先、5年先のビジョンを語るオレがいた。
 
話を聞きながら、なにか新鮮なものを見たようなUさんの顔が意味していたものは、きっと数年後にオレにもUさんにもわかるときがくるだろう…。