秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

わすかな力に支えられて

N通運のYさんは、いまFBでお笑い3人組をやっているTさんの紹介だった。
 
震災が起きてすぐ、大阪から支援物資を満載したトラックを出した。途中、東京の計画停電で道路は渋滞。ただでさえ、導線が開通していない中、被災地にある支社、営業所へ向けて車を走らせなくてはならない。
 
イカーの自粛を! Yさんは、FBで叫び続けた。被災から数日後ようやく現地に到着したが、同じ会社の仲間が亡くなっていた…。その無念の涙をFBに公開した。
 
オレは東京の生活をとめろとはいっていない。被災した地域(東京も含めてだが)を復興するとは、失われた日常を取り返すということだ。そのために必要な力は、オレたちの日常にしかない。
 
だから、節電や遅滞する電車を使って人々は通勤もしている。計画停電で工場が稼働できない友人もオレにはいるが、彼らは知恵をしぼり、生産をとめないためのシフトを考え、自分たちの日常を守ろうとしている。
 
多くの人々の生活に直結し、それによって、自分の会社、仕事だけでなく、関係するいろいろな人の生活を守る。それが引いては被災地への支援物資や復興の足掛かりにもなるからだ。
 
まず、いまやらなければならいのは、そのことだ。電力も人々の意識もそこへ集中させる必要がある。
 
だが、そうしたことを隠れ蓑に、あるいは、そうしたこととは無関係に、買占めが起き、大義も実行性もない取り組みがあちこちで被災地支援という名のもとに行われている。やることはいろいろあっていい。だが、現実に即したことをやるときに、現実とは遠くかい離したことをやって疑いがない。
 
Yさんは、とても穏やかな人だ。その語り口は常にお願いで、オレのように批判的なニュアンスはない。だが、それでも、自分の涙をFBで示したかった…。伝えたい現実がそこにあったからだ。
 
今日、Yさんは、娘さんの、たぶん成人式に用意した着物だろう、それをFBに掲載していた。明るく、あでやかで、幸せそうなお嬢さんの写真だ。
 
どうしてだろう…。オレは、その写真を載せたYさんの思いが胸に迫り、思わず涙がにじんだ。
 
こうした着物を着ることもなく亡くなった方への思いもあったろう。いまこうして、元気で幸せな娘の笑顔を見られる父親であることのありがたさ、幸せを…亡くなった同僚たちの思いを胸に強く感じたのかもしれない。
コメントには、一緒にがんばろうとあった。ちょと疲れたり、不安になったり、わがままをいったり…この20日以上の中でそれぞれにあった震災に、彼なりのやり方で応援歌を送っているようにも思える。
 
だが、おそらく、一番癒されたかったのは、Yさん自身だったかもしれない。
 
涙と晴れ着…。この人のような人が、理屈や大義名分や言い訳でなく、本当にこの現実を生きている。
 
おそらく、この困難とこれからの試練を支える人材は、そういうところにしかないない。そのわずかな力技に支えられてオレたちの日常はある。