秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

冷静にみつめ、みきわめる

いまキリスト教団や教会、ブッティストの各宗派、寺などで、東日本大震災の慰霊供養と不明者の存命、そして早期復興祈願の祈り、供養が行われている。
 
昨日午前中、今年の盂蘭盆会法要の打ち合わせで、お盆の法要に、震災の慰霊と祈願を盛り込むならば、やはり、現地へ支援物資を届けるのと一緒に、現地の実状をこの眼で確かめておかなくてはいけないだろうと提案した。
 
いま立ち上げようとしている活動も、自分たちの生活と被災者、被災地の生活、そして復興後の生活と継続的な連携を持つならば、有志がそうした行動を起こしたうえで取り組むのが妥当だろうと思う。
 
情報や机上で考えるよりも、現場。それは、オレの社会映画や教育映画において、常に意識していることだ。格差問題を一足早く、映画化したときも、50人以上の非正規雇用の人々、リストラされたサラリーマンなどに取材した。事前取材と実際の取材を合わせると10時間以上を費やしている。
 
女性、子どもへの虐待、薬物問題、いじめ、うつ病なども、現実に体験した方たちと直接ふれあうことを基本にしている。また、そうした問題を抱える方は、比較的身近にもいる。
 
だが、募金や物資の提供という形で参加するのに、あえて現地に行く必要はないとオレは思う。また、熱意だけで個人や数名で現地に入っても、実際、役に立つことはない。組織だった、自治体ボラティアやNPOの活動支援の形でやるのがいいし、自分の生活に支障のないように取り組むのが継続もできる。
 
しかし、オレたちのような仕事や自分たちで独自の活動を組織立ててやろうとするなら、現場を直接知ることは大切なことだ。迷惑にならない範囲と迷惑をかけない中でが条件だが。
 
いま、オレの時間の都合で進んでいないが、アフガニスタンを題材にした作品でも、前々からアフガンに入ろうと考えている。
 
今回の震災で、今年予定していたいろいろな段取りがもう一度組み直さなければならくなっている。そのひとつひとつをきちんと片づけるためには、事を急いではいけない。いま改めてそう感じている。
 
いつまでに、何をやる。それは大事だ。だが、困難と試練にあって、事を急ぐあまり大事なものを見失ってはいけないと感じている。
 
いま、この国は、どこか震災ハイになっているのではないか。そう疑問を感じ、提言しながら、自分自身も震災ハイになっていないか。
 
自分にできること、できないこと。自分の身の丈のものか、そうではないのか。それを冷静にみつめ、みきわめる時間が必要かもしれない。