秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

難しいところに答えがあるのではない

小学生みたい…と、何度、幾人の女性たちにいわれてきたことだろう。
 
そして、いま、ふくしまのことをやるようになって、世代を越えて、気にかけて、心配してくださっている方たちから、一層、そういわれるようになっている。
 
福島のことは大事だ。だが、オレが福島にこだわっているのは、いつも、ふくしま、とか、FUKUAIMAとか書くように、それを起点として、あるいは拠点として、地域のあり方をもう一度考えなおす、いい機会だからだ。
 
原発というものに依存する地域のあり方や東京という大消費地とそのための流通にしか頼れない現実を、SNSを使って、少しずつでも変えていく…それがいずれは、ふくしまだけではなく、東北地域全体、また、この国の地方全体の新しい活性化のモデルとなっていく…

これはオレの小学生のような戯言ではなく、世界の潮流となりつつある現実なのだ。

政治と国家という古い意識の限定された、治世者、為政者の視点でつくられる国や社会ではなく…そこから見える世界ではなく、ごく普通の日常を生きる生活者の意識と行動がつくる国、社会であり、そこからこそ見える世界の姿だ。

ただ、それをこれまでのような脆弱な市民運動や狭窄した視点で治世者、為政者、権力を全否定するやり方ではなく、不特定対数の人たちが賛同できる運動や行動にしていきたいのだ。

簡単にいえば、行政区域のしばりやこれまでの共同体の枠組みから自由になって、新しいつながり、過剰流動性と多様性の時代に耐えられる、新たな共同体のシステムを生み出したいのだ。
 
 
そのためには、既存のしばりや慣習、慣例といったものから自由にならなくてはいけない。実は、地域で新しいとこをやっている風の人間は、ほとんど、これを越えられていない。
 
大事なのは、生産者や加工業者自らが、それに気づき行動することだ。おちゃらけの代理店やコンサルタントやプランナーや…いわゆる、人のコミュニケーションに間に入って、中途半端な利益をむさぼる奴らを排除することだ。

多くの人がこの国の流通や生産者のノウハウから、それはムリだと思っていたし、考えていた。だが、そうではない。そんなものは、いくらでも越えられる。何かの権威や既存のシステムに頼らなくても、それを実現している人たちはいる。
 
そんなことをいまでも本気で語っているオレは、小学生並かもしれない。
 
だが、大人が思う以上に、子どもの感覚や視点が大事なときがある。物事はできるだけ単純化した方がいい。できるだけ、簡素な方がいい。
 
人ができることも、考えることも、それほど、難しいところに答えがあるのではない。小学生でなにが悪い。