秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

当り前のことだ

今回の震災が起きる二カ月前、1月の末に昨年秋から取り組んでいた東映の自主作品を完成させた。
 
「心のケアと人権」(職場編・家庭編:5月以後東映よりリリース)。
 
小泉政権以後、アメリカ型の新自由主義社会による格差の是認によって、日本社会の共同体意識が最終的に崩壊し、相互扶助から自由競争原理と自己責任論に塗り替えられ、社会からはじき出される人が続出するようになった。
 
結果、年間自死者数が増大、以後3万人以上の推移を示している。
 
社会には、まだ、心のケアが必要とされる精神的障害に対する偏見や差別意識は根深い。それによる自死に対しても批判がある。自死者を生んだ家庭への差別は深い。
 
うつ病は、しかし、身体的疾患のひとつであるというのが医学界では常識。最近ではよく知られるようになっているが、脳内物質の分泌がなんらかのストレスや疲労から出なくなるか、その分泌機能がうまく作動しなくなって起きる。
 
休養、睡眠、それが約束される生活を送ることで、脳内物質の分泌バランスを整えていけば、回復できる。しかし、その生活環境、職場環境を求めるのは、実は、容易ではない。日本社会、企業社会がそれを許す環境にないからだ。
 
こうした環境をつくりあげるには、格差や競争を是認するいまの企業社会、競争社会のあり方を根本から見直さなくていけない。
 
しかし、男性への育児休暇、長期休暇、女性の管理職、役員への登用は、ごく最近、一部の先進的企業によおいて実現しているに過ぎない。雇用促進に取り組む企業はわずかだ。それが広く大企業、そして中小へへと広がるには、より多い成功事例を必要としている。
 
今回の震災で、電力不足という足かせがあるものの、これまでのような経済活動ができなくなった。マスコミもアナリストもそれを悲観的にとらえる。そして、震災前の経済成長を目指すことが復興だと考える。
 
しかし、企業のあり方、働き方、就労のあり方、雇用時間、流通のしくみ、経営のリスクマネージメント…そうしたことをこれまでの枠を越えた、新しい視点で見直すという教訓を今回の震災はオレたちに教えている。
 
成長を戻す。成長を目指す。しかし、その成長のあり方、質、目指し方が問われている…とオレは思う。結果が大事なのではなく、結果を求める最初のスタンスと、どういう過程と形式によって、それを求めるのかという問いだ。

被災地ばかりでなく、いま東京でも心的要因によるさまざまな症状を訴える人が増えている。震災によって生まれた都市生活者の利便性の喪失。それに適応できないために、不適応障害が生まれているといってもいいだろう。
 
いままでがおかしかったのだ…と、オレは思う。
 
地方を犠牲にして、地方にリスクを押し付け、そして地方に高齢者世帯や限界集落を生ませ、人口の流動化によって都市に人が集中し、都市的生活が人が生きる最適な環境としてきたことに、大きな誤りがある。
 
生活の中のさまざまなにおい、人の体臭、生産の現場の生々しさを退ける都市的生活環境は、結果的に、格差によって支えられ、競争原理によって生み出されている。
 
そうした競争原理や格差を当然とする社会、国のあり方ではなく、ただ数値目標を求めるだけの成長ではなく、そこに生きる人々の幸せや喜びを基本とする成長のあり方を模索するときにきている。
 
当り前の社会だ。高齢者が一人孤独になくなることのない地域、人々の姿が消えることのない地域、女性や子どもの人権や幸せが大事にされ、人々が未来に何がしか生きる希望や期待が描ける国だ。
 
生まれてきた子どもたちが、思春期、青年期になり、こんな国に生まれたくなかったといわせない国だ。高齢者が、こんな国にするためにがんばってきたんじゃないといわせない社会だ。弱き人々に手が差し伸べられ、そのことをいとわない地域だ。
 
敗戦記念日にある若者に靖国で取材した。その青年は長髪のおたく風にも見える、華奢な男性だった。
 
「君がここにいま来ているということは、この国のために死ねるという思いがあるからなのか?」
青年は答えた。
「冗談じゃない。こんな国のために死にたいなんて思わない」
オレは訊いた。
「じゃ、なぜ、右翼が集まるこの日にここにいるんだい」
ひ弱な青年はしっかりオレの眼を見て答えた。
「自分たちが死ぬに値する国にするために、いまここにいるのです」
 
その青年の眼には、主義主張は別に、この国の歪みと糾さなければならない姿が見えていた…