秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

それでいいのだろうか

被災地を描いた映画が震災後からいくつか撮られ、公開もされている。多くはドキュメンタリー作品だ。劇場映画として制作されたのは、園子温監督の原発事故にテーマを絞った「希望の国」。しかし、これも放射能汚染によって家を奪われる家族を描いているが、福島県原発事故避難地域の実名は使われていない。
 
来年、釜石を舞台にドラマ化される東宝公開の君塚良一監督・脚本の作品「遺体」は、原作があることもあってだろうが、震災から2週間のもっとも悲惨だった遺体収容の状況をドラマで描いた作品らしい。
 
予告編を観たが…こうした実際の事実をあえていま、ドラマで描く必要があるのだろうか…という強い疑問を持った。おそらく、遺族や地域関係者の中には、観ることのできない方が大勢いるのではないかと思うからだ。ノンフィクションの取材本として出版された書籍ならまだしも、これを映像化する意味や必要があるのだろうか。

先日の三陸沖の大きな余震。東京にいるオレたちですら、あの3.11のときの記憶が鮮烈によみがえった。そして、その瞬間、いわきにいる知人、友人、仲間たちの顔がよぎった。そして、また、薄磯や豊間、四倉、久ノ浜で取材した方たちの顔が浮かんだ。

あれから1年9ヶ月が過ぎても、心の中にある、あのときの痛みや傷、そして苦しみは癒えてはいない。いわきでも、まだ遺体のみつかっていない方がいる。家族、親族、知人、友人を亡くした方々がいろいろな思いを噛み堪えて、なんとか前へ進もうとしている。
 
酒を酌み交わしながら、ふとそうした話になると、家族や親族をなくしていない方でも、避難当時の暮らしを思いだし、涙する方はたくさんいる。大きな揺れが襲う度に、その記憶が鮮烈によみがえる。その記憶と傷をあえて、ドラマという虚構でいままたよみがえらせる意味がどこにあるのだろう。
 
遅々として進まない復興、復旧の現実がいまは眼の前にあり、瓦礫処理さえ進んでいない。原発事故による放射能汚染の被害と風評から、農産物や水産業の再生が進まない現実がある。それでも、なんとか自分たちの地域、生活、共同体を取り戻そうと多くの人が悲しみを越えて、歩こうとしている。また、長い仮設住宅生活や借り上げ住宅生活を余儀なくされ、限界にきている人々もたくさんいる。
 
そこに、あのときの傷と悲しみをリアルによみがえらせることにオレは意味を見出さない。ドキュメンタリー作品なら、まだ冷静に見つめ直すこともできるかもしれない。だが、ドラマという、いわばウソの世界の中で、それをやることは、あるべき映画人の姿といえるのだろうか。
 
オレですら、予告編をみて、胸がえぐられるようにつらかった。被災者の方はその幾倍も鮮烈に傷つく。たとえ、それが、その苦しみを乗り越え、明日へ向かおうという応援の気持ちだったとしても、それがあるべき形とはどうしてもオレには思えない。

制作サイドや監督は現地でご遺族と話し合いを行い、映画化を決意したと語っている。決して、不遜な思いからではないだろう。だが、そこで触れたのは釜石のすべての方ではないはずだ。まして、リアルに震災直後を描き、かつ全国公開するとすれば、釜石以外の東北海岸線で被災した人々の思いも引き受けなくてはいけない作品だと思う。

フジの報道局を中心に、そうした映画を製作するとしたら、その人たちは生涯をかけて、その映画をつくったことの全責任を負う覚悟がなくてはいけない。しかし、テレビ人にそこまでの決意があるとは、とても思えない。