秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

それがいまオレを前に進めている

昨日、一昨日といわき市の関係団体との折衝。
 
うちの自主作品の編集作業や音付の作業とぶつかり、かつ、18日ある法要の席でお話しする原稿の締め切りなどもぶつかり、結局、出発の朝は徹夜明けとなった。
 
しかし、それでも朝の4時半には、編集を片付け、原稿もメールで遅れた。当初読んでいた時間通り。半日をどこかでつぶしてしまうと、いまは、数日後、こうしたしわよせがくるスケジュールになってしまっている。
 
いわきとの協働プロジェクトでは、これから一層時間がとられるだろう。しかも、仕事ではない。しかし、そこでは他で変えられない喜びをいただいている。
 
自分のこれまでの地域活性化プロジェクトのプランナーやコンサルの経験。新しい教育作品を一から団体と交渉して立ち上げた経験。セル映像の企画や商品販売のマーケティングプランナーとして生活していた経験など、映像を軸にしながら広げてきた、いろいろな経験と知恵が、昔のように利益を求めるだけの世界ではなく、利益どころか、自腹でやるということの中で生かされていることへの喜びがある。
 
無私ということはなかなかできないが、それに近づいて、なにかのため、だれかのために生きようと覚悟すると、その覚悟に見合う人との出会いがあるものだ…とつくづく思わされている。
 
最初にギアが入ったのは、「原発風評被害と震災被害、そして復興が遅れているいわきのことを東京の人に知らせてよ」といわれた、いわきジャーナルのSさんの言葉だった。
 
それから五里霧中。あちこちに顔をだし、情報を集め、そして、オレのネットワークの中であれこれ人脈をだどり…としている途中、被害のひどかった薄磯と豊間の合同慰霊祭に出くわした。
 
そこで、一段とギアが入った。最初に見た被災地の、その慰霊祭…重かったが、いわき市との出会いが偶然ではなかったのだと実感したのだ。
 
これから最初の協働プロジェクトは佳境に向う。オレがこれまでの人生で得てきたビジネスセンスや知恵や経験、それをまったくビジネスにならない世界で使うことになる。
 
が、しかし。たぶん、そのために、オレはビジネスを鍛えられたのかもしれない…
 
広告やCMの世界を40代の始めてで全部投げて、宮台真司尾木直樹斎藤環らとOUTをやり始め、社会映画作品にシフトしてから、いまやっている協働プロジェクトに必要な能力は封印してきた。金のために、その能力を使うことが、いやだったからだ。金のために使える能力だということは十分承知していた。
 
あえて武器をとらない、使わない。オレは自分の心の平和のために、それを選択してきた。それが、いまになって、むちゃくちゃ役に立っている。
 
こんなふうに、それが使えるときはくるとは、まったく思っていなかった。だから、喜びをもらっているのだ。
 
あの被災した風景と人たちに恥たくない…それがいま、オレを前に進めている。