秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

小さな支援をしあわせに思おう

コンペ資料の提出がおわったところで、ずいぶん放置していた髪のケア。
 
いつものように、もう20年来の付き合いになる美容師のSのところへ。昨年の夏から秋にかけて、ちょっとマジなシンポや行事があり、おとなしめの色にしていたのだが、震災もあって、ちょっと自分を元気づけようと、明るい色に変える。
 
こうしたことができることは実に幸せなこと。そのありがたさでいっぱいになる。
 
人間、普段できていることができなくなるのはつらい。その中でも、歯を磨いたり、顔を洗ったり、髭や無駄毛をそったり、お風呂で体を洗い流したりということができないと、ひどく疲れる。それに、キーンと緊張感が張った心の状態もほぐれなくなる。
 
貧しい劇団をやっていた頃、24時間勤務の警備員をやりながら、週3~4回の稽古をやっていた。夜、芝居仲間や友人と飲んでしまうと、風呂に入れない日が続くということがあった。もちろん、風呂付の家などオレたちの時代は贅沢だったし、銭湯が当たり前。
 
11時には閉まるので、稽古が終わって、演劇論や芝居の話に夢中になると銭湯に間に合わないということがよくあった。勤務では風呂などないから、明け番の夜に風呂に入れないと、3日はからだを洗えない。それが続くと一週間になる。
 
よく、勤務していたビルの駐車場の洗車用の水道で、深夜体を洗った。それもできないときは、狭い4畳半の猫の額ほどの台所の流しに沸かした湯をためて、タオルを濡らし、体や髪を洗った。たまに風呂に入ると、それまでの硬直していたからだと心がふっと開放されるようで、とてつもなく気持ちよかったのを覚えている。
 
しかし、オレのそんな体験など、季節はずれの寒さの中で、たき火や少ない燃料で暖をとっている人々のいまに比べたら、たいしたことではない。
 
だが、あたたかな風呂に入れるしあわせ、毎日、顔をあらったり、歯を磨いたりすることのしあわせは、本当に、できなくなってみないとわからない。
 
しかし、そうした被災した方々と同様に、首都圏、とりわけ東京に通勤するサラリーマン世帯や自営業者の毎日も、いままでにない緊張と不安の中にある。一見、被災地ほどの大変さがないから、じわじわと襲っている東京や近郊の人々の緊張がよく見えていない。
 
余震、原発の改修、停電、そして放射能…その不安を被災地の方の苦労に比べたらと強引に押し殺して日々生活している。中には、すでに不満や不平をこぼし、スケープゴードを探している人々もいるし、体調がおかしい、眠れないという人もいる。しかし、多くの人は、現状に耐え、それに甘んじている。
 
実は、被災地の支援と同様、この都市部、東京周辺の状況がオレには心配になってきている。
 
耐えていらるうちはいいが、限度にくると、被災地の人々に比べたらという言葉が一層のプレッシャーになり、不安や苦しみを訴えることができず、うつなどの健康障害を訴える人が増えるからだ。また、抑えつけられた思いが、極端な形、だれかを、なにかをスケープゴードにして、血祭にあげる…といった行動が生まれないとは限らない。
 
余震も、停電も、放射能汚染も人の力で片付くことではない面がある。それだけにやりきれない気持ちになる人も多いだろう。こんなときこそ、近所近在に住む人同士、職場、家庭の中で、気持ちを聴きあうということが大事だとオレは思う。
 
何かが悪い、あれがよくないといった批判もあっていい。愚痴もあっていい。不満もあっていい。きれいごとの話ばかりでなくていい。
 
そうやって、思いを吐き出し合って、だけど、みんなでそれぞれ与えられた荷物を担ぎ、毎日をしっかり生きようというメッセージが共有できれば、いいと思う。
 
いいたいことをいった後、それでも、それじゃいけない。みんなが一つにならないとこの苦難は乗り越えられないのだと気づければ、それでいい。
 
おしゃれをして、化粧をして、きれいになって、街を歩こう。人と会って、いろいろな話をしよう。自分にできる小さいなことを卑下しないで、小さな支援ができたことを幸せに思おう。
 
昨夜、格安旅行会社のKさんのマレーシアみあげ。これでも履いて、のんびり歩こう。
 
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