愚か者に次の時代は来ない
イベントが次々に中止、もしくは延期になっている。
今月、オレが支援しているNPOのひとつJENの木山啓子(日経ウーマン大賞受賞者・JEN事務局長)の「誰かのためなら人はがんばれる-国際自立支援の現場で-」の出版記念講演も中止となった。すでに、JENスタッフの何人かが現地に入っている。
木山さんとは旧知の仲、最初の縁はコソボ紛争のとき、オレが広島アリーナでやった、沖縄・長崎・広島を結ぶ平和イベントに、空爆、銃弾飛び交う中、現地からビデオレターでメッセージを送ってもらったのが縁。以来、彼女は、ほぼすべての世界の紛争地、国内外の被災地で活動を展開している。
焼肉好きの彼女とWCRP日本委員会にいる、やはり旧知のWさんの結婚祝いの飲み会をやろうと話していたのは一か月前。それどこではない状況になった。
イワから教えてもらったのだが、東京芸術劇場での野田秀樹の公演は延期、もしくは中止のところを、これも半ば強引に予定通りの公演を行った。いわく、「ろうそく一本でも芝居はできる。演劇上演が禁止され、表現の場が奪われた時代に戻りたくはない。だから、いろいろあるが、いまこのとき、被災地へエールを送る意味でも公演をあえて決行…」といった趣旨のコメントがあった。
おいおい。それは手前勝手な理屈だろ。まさにセリーグオーナー会と同じ理屈ではないか。被災地を、あるいは停滞した現状を元気づけるためというなら、まず、被災地で公演やれよ。それが本当に被災地にエールを送ることだろ。ろうそく一本でもというなら、電気のない昼間の体育館で被災者を前にやればいい。
そもそも、余震は続き、安全の保証もなく、もし、なにかあって劇場に来た観客に事故でもあったら、その賠償責任はとれるのか? ただでさえ、計画停電でサラリーマン、家庭は難儀しているというのに、電気を惜しみなく使う舞台公演をいま強引にやる理由がどこにある。
どこかの劇場は、向こう三か月間、劇場使用基本料を無料にし、照明代などの実費
で開放するという。表現の火を消すなと威勢がいい。公演売り上げの最低5%を日赤へ義援金として寄付する。ただし、ワンドリンクなどの経営協力はしてほしい…。
おいおい。それは体のいい、営業じゃないか。次々にスペース予約がキャンセルされ、やばいから、東日本大震災の支援を御旗にして、空いてるスペースを埋めたいという打算がみえみえ。やるなら条件などつけず、基本料だけの開放にしろよ。
自ら企画して、被災地支援のトークショーやるとか、そういう団体にスペースを提供するとか、ほかにやりようがあるだろう。
飲食店にせよ、そうしたイベントスペースにせよ、大変なのはわかる。しかし、それはお前らだけが大変なのじゃない。みんな大変なのだ。その中で、欲得を先にするか、しないかが大事なのだ。
以前、先輩経営者にいわれたことがある。「仕事と金は追いかけるほど、逃げていく…」。企業といえど、商売といえど、基本はなにがしかのサービスを提供して、その対価として利益を得る。サービスという心があって、初めてそれは金になるのであって、金をくれたらサービスを提供するというのは本末転倒。
人の不幸を利用して金を得ようというのは、愚の骨頂。いくらきれいごとを並べたてても、人は見透かす。そんなところに人はついてこない。
別にそれが金になるならいじゃなく、こうした状況の中で、誠意をもって取り組めることがあるはず。そうした取り組みに人が集り。その人たちの思いや願いをくみ取り、共感できれば、その人たちが客や人、そして金を勝手につれてきてくれる。
別にそれが金になるならいじゃなく、こうした状況の中で、誠意をもって取り組めることがあるはず。そうした取り組みに人が集り。その人たちの思いや願いをくみ取り、共感できれば、その人たちが客や人、そして金を勝手につれてきてくれる。
小賢しい屁理屈と調子のいい建前…。こんなときだからこそ、逆にそんな奴らの哀れが浮き彫りになっている。その空気が読めてない愚か者に次の時代は来ない。