秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

大丈夫よ。日本は絶対立ち直る。

連休明けに提出するコンペ資料の作成であっという間の3日。
 
月末までにまとめる予定にしていた原稿が、棚上げ状態。残り10日ほどの時間の勝負になってきた。
 
あわせて、今回の震災をきっかけに、NPOを地元で立ち上げようという計画書のたたき台もつくらなければならい。そんなこんなで、昨日のブログも更新できなかった。
 
で、そんなこんなで、PCに向い続けていると、昨日、上海にいる前のかみさんが、心配して携帯に電話をくれた。前回、電話で話したのは、確か半年以上前。頭の隅で、きっと電話がかかってくるだろうと思っていた。
 
上海出身で、首都圏、東北にいた知り合い、友人たちは、いまみんな帰国しているという。とりわけ、上海でも関心があるのは、福島第一原発事故の件。なんでも友人の姪っ子が福島で働くことになって渡日したらしいのだが、その翌日にこの震災に遭ったらしい。なんとか無事にとんぼ返りできたという。
 
福島周辺はもとより、首都圏ですら、いろいろな風評が流れ、マスコミでも連日原発の報道をして不安になっている人は少なくない。遠く離れた中国では、断片的な報道しかないから、日本は危ないのでは…と思う人がいてもおかしくはない。
 
東京周辺の生活情報や福島原発の状態、そして東北での不明死亡者の数、避難世帯の状況など話し、「日本の半分が失われたようなものだから…」といういうと…
 
「大丈夫よ。日本は絶対立ち直る。だって、1945年はもっとひどかったじゃない。それでも日本はわずか10年ほどで、復興し、世界を驚かせたでしょ。日本人は絶対に負けないよ。大丈夫よ」。
 
ああ…。やっぱり、彼女は日本が好きなんだな。そう思った。東京にいた頃は、時折、中国人であることの偏見や差別の眼を感じて、傷ついて、怒ることもあった。しかし、「でも、あなたような日本人じゃないような人もいるじゃない」と彼女はいつも、笑いながら続けた。
 
その意味は、中国、朝鮮半島、東南アジアの人々への偏見や差別がこの国にあるが、そうしたものを持たない人もいるという意味だ。同時に、オレのことをどの国の人かわからない性格の人と、いつも不思議に思っていたからだ。
 
その度に、オレは、「M38星雲から来てるかな」とジョークにしていた。
 
あまり知られていないが、中国の年配の方や彼女くらいの年齢、30代後半から40代以上の世代は、日本の敗戦後成し遂げた復興を、同じアジア人として強く誇りに思っている人が多い。
 
「日本のようになりたい…」。北京で共に事務方として仕事をした同輩の黄さんは、招待された北京大学の官舎の狭い2Kの家でそうオレにいった。日本に海外研究員としてきていた高齢の女医の方は、「日本の復興は同じアジア人として誇りに思ってます」といった。
 
オレは北京医科大創立80周年の式典に来賓として招待され、そこで、過去の戦争の過ちを謝罪し、新しい日中の関係は、親世代からオレたち、そして子どもたちへ引き継がなくてはいけない。子どもたちが偏見や誤解を持たないために、互いをもっと知る機会を、オレたち世代がつくりあげなくてはいけない。日本も、中国も、それをオレたちが共にやる使命を共有していると、スピーチした。2000人のスタンディングオベーションがいつまでも続いたのをいまでもなつかしく覚えている。
 
それから約15年、黄さんがいったように、中国は日本を越えるほどの経済大国になった。彼らが目指したモデルは、日本だったのだ。だから、歴史の視点からみえれば、いろいろな思いがあっても、日本と日本人に対する尊敬の気持ちはどこかに持っている人ばかりだった。
 
中国政府は多額の支援金を日本政府に贈ると発表し、彼女の話では上海でも募金活動が続いているという。そのことを政治戦略だ、人権抑圧のアリバイだという人もいる。しかし、仮にそうだとしても、この言葉にはウソがない。
 
「大丈夫よ。日本は絶対立ち直る。日本人は絶対に負けないよ。大丈夫よ」
 
ちなみに、あまり気づかれていないが、これがオレの前奥さん(笑)
 
イメージ 1