秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

それをやっていくしかない

昨日、午後から東映本社へ。
 
地下鉄千代田線はガラガラ。乗り入れている、小田急線が遠方への輸送を昼間停止している関係だろう。
 
銀座にいくと、これもまたほとんど人がいない。東映にいくと、何人かは出勤していない。オレたちの業界は、こうした事情のときでも、編集作業や撮影がある。そうしたとき、深夜や未明になるのはザラ。帰宅できなくなるのがわかっているから、現場にいなくても、事が足りるならと最初から出勤してない場合がある。
 
下手をすると、オレたちの業界では、震災以来自宅に帰っていないという連中も少なくない。
 
東映から代官山のスタジオにいくと、やはり編集のA君も前日は休んでいたという。彼の場合、駅にいくとシャッターが下りていた。今日も停電にあたる地域にいるので、帰れるかどうかわからないと、無精ひげに疲れた顔でいっていた。
 
次に代官山から、中野坂上へ。音効のスタジオ。ほとんどのスタッフが映画会社や大手音響スタジオで仕事に出ているが、秀嶋組のKも、震災時は、朝2時までスタジオで、終日運転していた大江戸線で朝帰ったという。
 
奥さんは、阪神淡路大震災のとき、大阪にいて、そのときのショックがトラウマになり、震災のあと、家にいられず、Kが帰るのを泣きながらひとり、外で待っていたらしい。
 
いま、このブログでは書き入れないほどの問題や困難があり、そのすべてがすぐに対応しなくていはいけないことだし、被災地はもちろん、関東以北の人々が直面している課題だ。
 
しかし、震災後の心の傷はいずれ、大きな問題になるだろう。一瞬にしてすべてを失った人、町、村は、大きな欠落を抱える。すでに、被災地でもそうした問題が生じている。身体のケアもあるが、できれば、並行して、心のケアへの取り組みができればいいのだが…。
 
阪神淡路大震災のあと、神戸を訪れたとき、出会う人たちにあるひとつの空気感、仏教でいう、諦観のようなものがあって、明るい表情の裏に、なにか、言葉にできない深い思いがあるのがわかった。
 
時間との闘いの中で、心の平穏を保つのは難しい。いま現場では、それより先にやらなければいけないことがあるし、オレ自身、東京でできることに取り組むしかない。
 
せめて…とやれることはいくつかある。いまは、それをやっていくしかない。だれもできない、自分にやれること。いましばらくブログの更新は不揃いになりそうだ。