秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いま何を見、だれを見るべきなのか

いま被災地で原発の復旧作業や不明者の救助作業、避難所やその周辺で支援に当たる人の中に、警察官、消防士、自衛官がいる。
 
オレのオヤジが警察官だったこともあるが、職務として、人命の保護と安全に携わり、事何かあれば、基本、身を挺して人命を守るという訓練の中で彼らは生きている。
 
オヤジは幸い、退職まで無事つとめ、70歳を過ぎて皇居で受勲される栄誉を得られた。しかし、オレが大学生のとき、ある日、ふと退職したオヤジの書棚を見ると、そこに、殉職警察官記録という警察関係者しか手に入らない書籍が置いてあるのに気づいたことがある。
 
パラパラとめくると、職務中に市民の命を守ろうと身を挺した警察官、訓練中に亡くなった警察官などの死に至る経緯とそれまでの業績が細かく記載されていた。無事退職して、再就職も果たし、穏やかな暮らしを送るオヤジの思いが伝わり、じんときた。「いつか、名もなく亡くなったそれら警察官のことを何かにまとめられればと、思うてくさ…」と、オレが本をめくっていると、照れくさそうにいった。
 
ノンキャリアの退職警察官の平均寿命は70歳。70歳前に亡くなる方も多い。いのちを削りながら、いのちを守る。オヤジにしてみれば、戦争で生き残り、こうして退職後も無事つとめ、同僚たち、部下たちの死に思うところがあったのだ。
 
避難誘導をする中で、多くの警察官、消防士がなくなっている。市町村の長や議員の中にもそうした人がいる。公務員として、自分が避難するよりも、まず市民、町民、村民をと、命を顧みなかった人たちだ。
 
いま原発の現場では、必死の作業が行われている。おそらく、いま原発の中で、作業にあたっている多くの人は、被ばくしているに違いない。それでも、スリーマイル島チェルノブイリのようにしないために、福島、茨城、千葉、東京への被害を生まないようにと、死と隣わせの現場に踏みとどまっている人たちがいる。
 
原発の不手際はもちろん東電にある。同時に、原発を推進してきた当時の政権やその後、原発の安全性を議論してこなかった国民にもある。しかし、いまそれを批判することに虚しさを感じるのはオレだけだろうか…。
 
いまやらなければならいことは、これ以上の被害を生まない取り組みしかない。その現場で命を賭して、作業している人がいる中、オレには政治議論や企業の倫理ばかりを非難する声が悲しくてしょうがない。
 
FBで紹介された、ある男性のこの姿を、机上の議論のように、東電を非難する人たちはどう受け止めるのだろう。
 
「地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。 会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。 男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。話を聞いた娘は、家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思っている…」
 
すべての人にできることではない。原発の知識と経験がなければできないことだ。また、ただ被災地や被災現場にいけば、だれもが役立つわけでもない。しかし、こうした人々の思いや行動に、オレたちの生活や日常や毎日の暮らしは支えられている。
 
何事が難事に襲われたとき、だれを見るのか、何を見るのかでその人の人柄がわかる。オレたちは、いま何を見、だれを見るべきなのか…。
 
その簡単なことに気づきを持つことを、この大震災は救われたオレたちに教えている。