秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

国難を乗り切る大切な鍵

明治29年三陸地震で2万人以上の人々が津波被害で亡くなられている。
 
岩手県花巻に生まれた、宮沢賢治は、その後の東北地方の農漁民の悲惨な生活を知る中で、法華経に目覚め、「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」と、農地改良による農民の生活の改善を晩年の仕事とした。
 
そして、3日前、同じく三陸沖を中心に、マグニチュード9.0と訂正された、超巨大地震東北関東大震災が起きた。それに誘発され、長野中越地震も起きている。被害状況が判明するにつれ、当初発表された行方不明の方、亡くなられた方の数を上回り、明治29年に匹敵する被害になることが予想され始めている…。
 
しかし、これだけ広域に被災地が広がった震災の事例は日本にはない。
 
都内のスーパー、コンビニでは食料品が品薄となっている。加工製造工場が被災したメーカーもある。配送センターが機能しなくなった物流業者もいる。そして、道路が寸断され、輸送会社は荷物を搬送できない。
 
被災した地域は、農水産の拠点。回復までには相当の時間が必要になる。都市部を中心に農水産物がさらに高騰するのは時間の問題だろう。さらに、福島原発の被害は、レベル4まで来た。それ以上になる危険性もある。首都圏で地域別に停電を行うと東電が発表した。
 
しかし、それ以上に、現地ではまだ安否のわからない多数の人々が残されている。
 
被災地に親族や家族、友人、知人を持つ方たちのやるせない思いは、はかりようもない。避難所での生活を余儀なくされ、身寄りの安否がわからない方たちの思いも、言葉には表せない。そして、自然の猛威の前に身内を亡くした方々の思いも…。
 
オレには、石巻気仙沼に両親や親族、友人、知人のいる仲間が複数いるし、取材で、釜石や宮古、花巻、三沢などでお世話になった方たちもいる。個人的には、福島の三春に住む芥川賞作家の知り合いもいるし、須賀川、白河、いわきに地元のある友人も少なくない…。いまはただ、その方たちとその方たちの身近な人々の安全と無事を祈ることしかできない。
 
こうした状況の中で、何か支援をという動きが出始めている。だが、注意してほしい。これだけ広範、広域に被災地が広がっている場合、それぞれの被災地によって、求められている支援が違う。また、個人だけの力で支援をと思っても、いまはライフラインの確保が最優先の段階。それは個人の力では、容易なことではない。
 
感情的になり、自分の思い込みだけで支援に走るのではなく、支援する被災地の求めているものを確かめ、自分の生活の中で、息長くやれる支援を考えることが大事だ。今回の震災被害は、一気呵成に片がつくほど、生やさしいものではない。国の半分が被災したのだ。支援と復興には、時間がかかる。
 
自分の住む地域から、自分の職場からといった、身近な人々との連携の中で、自分たちにできることを考え、それをどういう形で現地へとつなぐのかを冷静に構築してほしい。
 
企業であれば、社内のネットワークをつかって。あるいは得意先、仕入れ先との連携の中で。個人であれば、自分が関われるNPOや支援団体との連携の中で。あるいは、自分が生活する場所の自治会や地元住民の協力の中で、それを模索してほしい。
 
かつて、被災したある地域の責任者の方が、東京や西日本地域から、支援ボランティアに行きたいと申し出た人々に、受け入れができない、来られるならプロの支援組織に来て欲しいと返事されているのを覚えている。
 
現地で何かお手伝いを…というのは、阪神淡路大震災のときからひとつのムーブメントになってしまった。しかし、阪神淡路でも当時、駆け付けたボランティアの処遇に苦慮した経験がある。いまの段階の支援は、安否確認や救助が並行している。まとまった。プロの力を必要としている時期だ。個人でできるのことには限界がある。
 
その認識に立って、感情的な支援ではなく、地に足のついた、地道な支援活動をそれぞれの生活の中で見つけた出してほしい。それは、被災地がもう少し落ち着きを見せたとき、次の支援として求めているものと強くリンクすることもできる。
 
国難ともいえるこのとき、日本人、あるいは日本に在住する一人ひとりがどういう言動を示し、どういう振る舞いを示すか…。他人や政治家、行政だけを批判し、揶揄するだけの愚かなことを繰り返すのか。それとも、それぞれができること、できないことを持ち寄り、補い合い、少しでも市民力で苦難を乗り越える道を共に探すのか…。
 
この国難を乗り切る大切な鍵は、そこにある。
 
「世界ぜんたいが幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」。互いへの否定から、この言葉は生まれない。