秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

男らしさ女らしさの向こう

2週間ほど前、DIESELの春カタログが届いた。
 
店舗に商品が並ぶ前に、カタログを送るのは、ブランド力のあるメーカーの基本戦略。支持率の高い固定ユーザーの囲い込みのためだ。
 
この数年、DIESELは、メンズよりレディースがいい。数年前、デザイナーが代わったこともある。
 
昨年冬、限定で登場した、レディースのニューヨーク・コレクションは、実にすばらしかった。かつてのD&Gを感じさせる際どさの中に、エレガントな大人の女性らしさ、センシィティブなカット、ラインを打ち出し、独特のセクシーさを漂わせる…
 
とんがり坊主やツンデレ派のDIESELファンには、高額で、オートクチュールっぽいとやや不評の向きもあったらしいが、旗艦店、銀座店や渋谷店の馴染みの店員たちの間でも、レディースの評価は高い。
 
レディースの輝きが勝る分、大人しくなった最近のメンズが幼稚に見えてしまう。
 
ファッションは時代を映す。そのときどきの人々の空気感、潜在的な嗜好性をすばやく読み取り、新しいライフスタイルとして提案する。それを人々の共通認識とすることで、それぞれのブランドがそれぞれの主張を繰り広げてきた。結果、そこに、ひとつの時代の空気感が漂うことにもなる。
 
が、しかし。いま、都内を歩いていても、はっとするようなハイセンスな人と出くわすことは実に少ない。レザーのブルゾンが流行すれば、みんながこぞってレザーを着る。ダウンのロングコートがいいとなれば、だれもがお揃いのように、ダウンを着こなす。それも時代の空気感なのだといってしまえば、その通りだが、どこか画一性や同調圧力を感じてしまうのは、オレだけだろうか…
 
このところの景気の低迷と生活の大変さから衣類やアクセサリー、小物にお金をかけないという事情はみな同じ。
 
何も高価で著名なブランドを着ればいいといっているのではない。安価な物でも、組合せや着こなしで、いくらでもおしゃれは楽しめるし、自分の主張を表現することもできる。基本、清潔感さえ、守られていれば、どのようにも工夫はできる。
 
また、人と違う奇抜な格好をすればいいというのではない。自分という人間のあり方や生き方、考え方をしっかり持ってなければ、主張のない、ありがちなものになるといっているのだ。
 
もう死語になって久しいが、オレたちの若いころは、男として求めるべきステータスとして、ダンディズムという言葉があった。生き方のかっこいい大人。主張や信念があり、それでいて、周囲の信頼と尊敬を集められる男…。そうあらんとすることが、男を鍛えることだったし、人として一人前になることだと教えられた。
 
オレはよく若い男女にいう。「男が男らしくなくては、女は女らしくなれない。女が女らしくいなければ、男も男らしくはいられない。そして、その「らしさ」の向こうに、人間らしさがなくては、互いへの尊敬も、人を大事にしようという、やさしさも育たない」。
 
ただ、やさしければいいのでも、ただ親切であればいいのでもない。ただ、強ければいいのではなく、ただ美しければいいのではないように…。
 
互いが心を鍛えなければ、互いの長所や美しさを発揮することもできない。それには、男も女もダンディズム。らしさの向こうに、人間らしさを。
 
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