秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

されどわれらが日々

打ち合わせを終えて、不義理をしていたレッドへ。5ヶ月ぶり。
 
週の谷間で、客はなく、のんびりした雰囲気。店としては喜ばしくないのだろうが、ふらりと久々、雪駄で立ち寄ったオレには丁度いい。
 
しばらく会っていないコア常連の近況や定例の誕生会のことなど、近況報告のように、犬をあやしながら、Youがレクチャーしてくれる。女好きのIの再就職が決まったという話は、嬉しかったなぁ。
 
そのうち、ネーリストのKが仕事を終えて顔を出し、「鼻が利いた」と喜ぶ。渋谷でメシをしているイガがKのところに来る予定だったらしく、オレが来ていると聞いて、「そこを動かないように!」と伝言。確かに、オレは、ふといなくなる癖がある。
 
現れたイガは、はっきりとは言わないが、オレのことを心配していた様子。イガなりのやさしさ。おそらく、Youを含め、ハマなどコア常連はオレの知らないところで、少なからず、そう思っていたのだろう。知らぬが仏。知らぬは、我ばかりなり…。
 
イガは、酔っていたのもあるが、突然、レッドでオレと話ができるのが、楽しかったらしい。久しくやっていない、オレの作品の上映会をやろうから、社会、文化情報を発信する場にしようと、話題は広がる。
 
実は、ふらりと立ち寄った理由のひとつは、著名ナレーターのTさんがこじんまりした朗読会を、オレの映画の試写会で来たことのある、レッドの地下でやれないかと、たいぶ前に相談されていたこともある。
 
次の日曜に、芝公園での自然観察会で、Tさんの朗読をやるので、Youに下打診しておきたかった。上演待ちになっているオレの芝居を朗読でTさんたちグループと秀嶋組の俳優と一緒にやってもらえないかという企画も、実は、ずっと頭の隅で考えている。
 
すっかり犬好きお兄ちゃんになっているYouは、閉店前に帰り、しゃべりたいだけしゃべったイガは、先に寝るからと2階へ。結局、空気になっているリョウの前で、Kとオレで飲む。こうして二人きりで話すのは、初めてかもしれない。
 
なんでもKにいわせると、オレには、「今生での課題」があるそうだ。「カントク。人を幸せにするには、自分が幸せにならなくてはいけないでしょ? カントクも幸せになってくださいよ」。「うむむ…。オレのことはどうでもいいだろ。人が幸せになれるのならば、それでいいじゃないか」。「だから、それがいけないんですぅ!」。
 
柴田翔という芥川賞作家がいる。『されど、われらが日々』というタイトルで、1950年代から60年安保にいたる東大の学生運動共産党の地下組織活動を描いた作品。70年安保闘争の時期に出版され、純文学では珍しく、ベストセラーになり、映画化もされた。
 
その最後のくだりに、こんなふうな一節がある。
 
「人の幸や不幸は問題ではない。人は、生きたということに満足すべきなのだ。人は、生きることで、人や社会を変えていける…」。確か、そんな文章だった。
 
志半ばで倒れるいのちがたくさんある中で、自分は生き、そのいただいた、いのちを他者や社会のために費やすことができる。それだけで人は満足すべきだ。それほどに人が生きるということには深い意味と重い価値がある…。柴田翔がテーマにしたのはそれだった。
 
人が人らしくある。男が男らしくある。女が女らしくある。そして、それぞれが幸せになることの意味と価値は、時代と共に変化する。人々の意識と価値観によって、変るものだろう。年齢や世代によっても違うかもしれない。
 
だが、いや、だからこそ、それぞれが信じた価値観や意味をそれぞれがまっとうしようとする中で、意識のズレや認識の違いが生まれる。そのことを否定しようとは思わない。違いがあって当然だ。
 
しかし、共通するのは、それぞれが信じた価値観や意味をまっとうしようとする中にある、孤独だ。孤独が生む寂しさだ。通信し合えないことの痛みが、そこには必ずあるから。
 
だから、オレは、いつも自分を棚上げにする。人の幸や不幸は問題ではない。そう言い聞かせることで、自分を棚上げにする。Kがいうように、いいことだとは思わない。人によっては身勝手だと思う人もいるだろう。それを変えていくのが、オレの「今生の課題」。それがいいたかったらしい。
 
「いい仕事をするためには、やすらぎも必要じゃないですか?」。Kは、最後にそういった。
 
そして、どういう文脈なのかは、不明だが、終りに、こう付け加えた。「ぜひ、一緒に、ヨガをやりましょう」。