秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

龍馬の生きざま

オレのHPで1月の今月の評論OUTで、「面から点、そして線へ」http://www.hideshima.co.jp/を書いた。
 
それは、まだFB(フェース・ブック)を始める前のことだった。映画「ソーシャル・ネットワーク」の予告を劇場で見て、すぐにFBを始めようと思い、それから1週間もしないうちに、チュニジアで市民革命が起き、あっというまに世界に連鎖した。
 
オレがまさに、こういう形で社会を変えていくのが理想だという姿がわずかひと月ほどの間で現実のものになった。
 
もちろん、先進国において、北アフリカや中東、そして、中国、北朝鮮などに飛び火した運動がそのまま実現すればいいといっているのではない。
 
歴史も違えば、民族意識も宗教も、いま置かれている政治的、経済的状況も、近隣諸国との安全保障も外交戦略も違っている。まして、FBは情報ネットワークである以上、それが遮断されれば、伝搬するまでには時間も必要になる。
 
しかし、寸断されていた市民がFBという比較的信頼性の高い情報ツールによって、不満と権利主張を共有し、テロやひとりのリーダーに牽引された武力闘争でなく、ほぼ素手に近い状態で結集し、死への恐れと死の痛みを共有しながら、人間としての当然の権利を主張する…。ということが起きている。
 
それは、これまでの革命の概念を変えたし、革命が決して遠い彼岸のものでははく、高度な知識や教養がなくても、市民の生活意識、意志の結集によって可能なのだということを示している。
 
このことをITが苦手な人、FBが面倒くさいと思っている人に伝えても、なかなか、伝わらない。実感を持って受け止めてもらえないことの方が多い。
 
しかし、それでも語り続けることの大事さをオレは、いまFBで毎日実感している。オレのその思いに反応する人が次々に出現しているからだ。FBとの関わり方、自分の側のメッセージの質と内容が問われるが、それに共感する人は少なくないという実感が毎日の中にあるのだ。
 
そして、身の回りで一人、二人とオレの話に関心を持ち、FBに参加している連中がいる。
 
FBは日本人にとってはこれからのツールで、いろいろな問題もある。また、FBの仲間内でも話題になることだが、ここではバランスのとれたコミュニケーション能力も求められる。しかし、根気よく、他者とつながり、根強く語り続ければ、良心の輪はいつか大きな力になるだろう。
 
大切なのは、すぐに社会を変えることではない。社会を変えることが人々の幸せへつながるのだという確信の種を撒くことだ。少なくとも、50代後半になり、あとの世代へ何がしか、夢や希望の糧となるものを残す使命のある世代は、そのことが一番大事なことのような気がしている。
 
よりよき社会の実現は、新しい人の仕事だ。ロートルは刺激を与え続けることはできるが、時代の主役は変わっていかなくてはならない。
 
この間の徳島のシンポで、オレが語ったこと。
 
「教育というのは、そもそも不遜なことをやっている。教育というのは、ある種、マインドコントロールに過ぎない。ならば、それだけ不遜なことをやる以上、種を撒くことに徹するべきだ。いまの教育の大きな誤りは、種が芽を出し、将来こうした幹になり、枝振りはこうと、成長した後のことにまで深く関与し、大人たち、教育する側の思いを押し付けていることにある」
 
「どのような枝振りになろうと、自分たち世代から見たら、それがどれだけ危なしかろうと、それを彼らが選択するのであれば、その選択の自由は認めなくてはいけない。それが、人々に自尊感情を育てることになり、問題があれば、だれかに頼るのではなく、自分たちの意志と話し合いにおいて、解決すればよいことに過ぎない」
 
物事、いつまでも自分を勘定に入れるから、うまくいかなくなる。自分を勘定に入れない思いなければ、革命など起きようがないし、起きたとしても数年で独裁政権に姿を変えるだけだ。
 
それをオレたちは龍馬の生きざまに教えられている。