秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

沖縄からのいのちのバトン

昨夜、TBSのドキュメンタリードラマで『総理の密使 -核密約42年目の真実-』をやっていた。
 
オレが子どもの頃、福岡市とその周辺は、板付(現福岡空港)、春日原、粕屋、奈多など米軍が駐留する基地の街だった。また、オレが育った子ども時代は、親世代が当時者であり、そこから戦争体験をじかに聞くこともあったし、子どもの読み物やコミックにも、戦争の悲惨を描いたものが多かった。
 
小学生向けのコミックのファーストシーンで、いきなり、米兵に追われ、襲われる沖縄の若い女性の姿が描かれたりしていた。草むらに女性が押し倒された後は、もちろん描いていない。が、彼女が押し倒された、さとうきび畑の上空をB52戦略爆撃機が大きな翼を広げ、轟音をあげて、上空を通過していく…。
 
そして、次の場面で、彼女は死体で発見される…。子ども向けのコミックに、そんな作品があったのだ。
 
1972年、沖縄返還のとき、それまでもドキュメンタリーや書籍で沖縄のことを学んではいたが、改めて、沖縄の歴史と基地の現実を知ろうと思った。
 
薩摩藩の武力による侵略と人頭税(子どもでも大人一人分の税負担)など人権を無視した理不尽な琉球支配。そのために、沖縄、奄美では、口減らしのために、幼いわが子を親が間引き(殺し)しなくては生きていけなかった。
 
太平洋戦争時、唯一地上戦が行われた沖縄。本土防衛という実体のない美名の中で、9万人以上の民間人、女性、子ども、老人を含め、いのちを落とした。その数はいまも正確にはわかっていない…。
 
悲惨なのは、戦闘だけでなく、その中には、日本軍によって殺害された人々がいることだ。民間人は足手まといになる、自決は当然とするものだった。自分たち民間人を守ってくれるはずの軍人が、自分たちに銃や手りゅう弾を向けた。
 
ひめゆり隊に見られるような洞窟での民間人の自決も多かった。アメリカ軍が撮影した記録映像には、断崖から投身自殺する若い女性の姿も残されている。
 
そして、敗戦後、日本本土の身代わりとして、日本の独立と引き換えに、極東最大の軍事基地を押し付けられ、日本から切り捨てられた。
 
そこで起きていた、米兵による民間人への暴力、殺傷事件、レイプ事件…。米軍の演習、事故…。それは、1972年沖縄返還後のいまも変わっていない。
 
そして、やっと1年前に、「非核三原則」も、「核抜き本土並み返還」も、実は、有名無実なものだったことがいつくかの証言とアメリカの公文書の公開によって証明された。
 
いまも、この国には、沖縄への差別がある。
 
琉球王朝から薩摩の支配下にされたときから、沖縄は日本であって、日本ではなかった。太平洋戦争で沖縄があれほどの悲惨を引き受けなくてはいけなかったのも、独立と引き換えに基地化され、返還後も沖縄の基地問題を国、他の自治体が引き受けようとしないのも、そこに、沖縄だから…という差別がある。
 
現実に、就職差別、結婚差別はいまもある。それは、長崎、広島の被爆者への差別と同じく、あの戦争で大きな犠牲と悲惨を引き受けた人々が、差別されるというこの国の愚かしい現実を示している。
 
本土並みということは、沖縄以外の自治体、そして国が自ら沖縄の痛みと苦しみを分かち合い、引き受けることだ。それをしたくないのであれば、沖縄の基地問題を国民あげて、見直し、この国の安全保障をどうつくりあげていくかの議論を一からやることだ。
 
それは、アメリカとの関係を再構築することも意味している。いま世界で起きている地殻変動。10年後、20年先の世界の姿はきっと大きく変わる。混乱もある。
 
波乱と激変の中で、基軸となる羅針盤は、どこかの国が、どこかの地域が主導権を持つ世界ではなく、国も民族も、国境も越えて、人が人として生きていく当然の権利が守られることだ。
 
そのために、自分たちは、どうあるべきかを見つめ直せば、新しく進むべき道を共に探し、歩むことは困難なことではない。
 
それがいまを生きるオレたち、ひとり一人に渡された、失われたいのちのバトン。