秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

沖縄返還40周年

もうすぐ沖縄返還40周年の5月15日がくる。オレが高校3年生のときだった。

沖縄の問題は沖縄だけではなく、この国が抱える地域の問題、そして、国家主権や領土問題、国民主権を基本とする民主主義と基本的人権の課題なのだ…と、その頃から考えていた。

沖縄返還批准特別措置法が掲載された新聞を切り抜き、要点に赤線を引き、いつもポケットにつっこんで、ボロボロになるまで読み返した。昼休みの時間、学食前の石段で生徒たちに呼びかけ、議論の場をつくった。執行部でどういう行動が学内で起せるかも議論した。
 
返還当日の15日は、3年のほかの教室へもぐりこみ、沖縄返還について議論しない教師がいれば、「先生、ちょっと待ってください!」と沖縄について語れと要求した。その延長で、10.21国際反戦デーでは、デモ隊の中にいた。
 
沖縄返還批准が国会を通過し、15日に施行されることに反対したが、より重要だったのは、沖縄の現実を同じ高校生仲間に伝え、考える場を提供することだった。返還は始まりに過ぎない。沖縄の問題は解決されていないこの国の大きな課題としてオレたち世代が引き受けなくてはいけない課題だと確信していたからだ。
 
当時、佐藤栄作が国民、沖縄県民に約束した、「核抜き・本土並み返還」がまったくのでたらめだったことは、数年前、民主党政権になって外務省機密文書が表に出て、やっと暴かれた。佐藤家(岸、安倍)は、ノーベル平和賞の返還を自ら申し出るべきだ。
 
しかし、オレたちは当時から、沖縄に核があること、返還による密約があること、そして、基地がなくならないことで続く沖縄の悲惨を訴えていた。沖縄はのあのときから、返還される前といまも実質的には何も変わっていない。

オレが小学生の頃から米軍の演習の誤射や人間標的にされて亡くなる住民がいた。幼い少女や女性が米兵の暴行をうけ、慰み者にされた上に虫けらのように殺害される事件があった。
 
土地の強制使用での住民に対する暴力や飲酒しての発砲事件など到底、国際法上許されない現実の中に沖縄はあったのだ。そして、いまもそうであるように、極東最大の基地がそこにある限り、その現実は大きくは変わらない。
 
日本政府の統治下におかれながら、米兵の犯罪に裁判権を持てず、司法権に限界がある現実は据え置かれたままだ。数年前、小学生がレイプされた事件でも、海兵隊員たちは即刻帰国させられ、アメリカで審理を受けたものの解放されている。
 
尖閣列島竹島問題に気勢を上げ、尖閣列島の土地購入を進める輩たちの多くも沖縄の問題を素通りしている。なぜか…。簡単なことだ。対中国や韓国との領土問題議論には関心があっても、日米安保条約によって奪われている沖縄県民の人権と生活権に関心がないからだ。それは沖縄への差別でもある。言葉ではごまやしをいっても、所詮、アメリカの傀儡に過ぎない。自国の主権をアメリカに主張できる根性など持ち合わせていない。
 
真に国家主権、国民主権、民主主義を唱え、実現しようとするなら、そして、この国の真の独立と自治を回復するなら、沖縄の課題を自らの課題としなくてはならない。
 
沖縄を基地に依存してしまう地域にしたのは、国だ。原発に依存するしかない根性なしの地域にしたのも国だ。大手資本に依存して、地域の自助と自立を阻んだのも国だ。そして、その国をつくり、許してきたのは、オレたちだ。

かつて、那覇市長になりながら、統治権アメリカにあることで、意図的に市長の席を奪われた瀬長亀次郎が市長になったとき、アメリカは銀行からの市への融資を凍結した。そのとき、これまで税金を納めていたなかった市民たちが、アメリカから政治を奪いかえすために、税金を納め、市政を維持した出来事があった。
 
くだらない政治や政府に市民は税金を払う必要はない…そう考えていた人々が、自分たちの自治と自立のためならと税負担を自ら申し出る。
 
あるべき、公民権運動の姿とはそうした姿のことをいうのだ。