秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

異名者たち

未明の3時に起床。霧雨の残る寒風の中、自転車を走らせる。
 
大寒から節分の間に行われる仏教行事、寒中読誦修行に出る。一年で一番寒い時期。早朝に起床して、お経を読む。この5年ほど毎年恒例になっているマイブーム。
 
旧暦でいえば、節分=春節=新年へ向けて、一年の厄を払い、自身の過ちを振り返り、禊をして、新年を迎えるという、伝統仏教ではいまも残る年中行事。四柱推命では、いまも新年は2月の節分からとなる。
 
西暦の暦がオレたち日本人の生活に持ち込まれたのは、ご存じのとおり、明治維新以後。それまで、日本人の生活は、旧暦、月暦だった。月をめでる文化や風習も、梅が早春の季語となっているのも、こうした理由によっている。
 
新政府は西欧近代化のひとつとして、西暦を導入したのだが、国民生活に根付いていた旧暦を反故にできず、西暦と旧暦の行事が、そのまま残る暦となってしまった。
 
しかし、それから遠く、150年。欧米文化に浸食された、この国では、旧暦の行事を意識することは、希薄になっている。せいぜい、節分の豆まき、3月、5月の節句、春と秋のお彼岸の墓参りに、7月のお盆(盂蘭盆会)の行事くらいか。
 
その多くは仏教行事や神道の行事との結びつきが深い。それは、日本人の文化、生活意識が森や山岳、河川や海といった自然、死や誕生といったいのちの営みを深く意識していたことを示している。
 
つまりは、宗教的精神性が日本人の精神意識の形成に大きな役割を担っていたということ。天皇もそこから読み解くと、新しい断面が見えてくる。能楽の隆盛も、その影響で誕生した歌舞伎、日本舞踊といったものにも、華道、茶道、日本絵画、武道も、そこに大きな影響を受けている。
 
が、しかし。この国の近代化と戦後のアメリカ化は、そうした日本人のアイデンティティを放逸してきた。つまりは、それらが自分たちの文化や生活意識の中の大切なもの、かけがえのないものという意識を捨ててきた。その結果、自分とは何者かの根拠も喪失てしている。
 
政治や経済、教育や文化といったものをひも解くとき、この日本人の置かれたいまを解析することは、世界の普遍にたどりつくことにもなる。つまり、日本人のいまから世界が見えるということだ。
 
昨夜、コレドのオーナーMさんがプロデュース、脚本、演出を手掛けた芝居、『異名者たち』を見ると、ここにも、自分とは何者なのかをテーマに生きた、ひとりのポルトガルの詩人の姿が描かれていた。
 
自分とは何者かが不明なこと。その発見は西欧近代化と同時に始まっている。何者であるかの存在証明のために、宗教も、哲学も、科学もさまざまな試みをし、失敗を繰り返してきた。
 
詩人ぺソアのように自己を意図して解体し、解体した自分ではない、何者かたち=異名者の集合として、自己の存在証明の証とする詩人もできてきたりした。
 
だが、自分とは何者かを自らに問う煩悶はそこにはなかった。発狂するほどの孤独が見えない。確かに。孤独を突き詰めれば、発狂は通り越して、静かに立つ、無名の葦のように、そこにあるだけの存在でしかないのかもしれないが…。
 
そういえば、昨日はオレの誕生日。それは本当にオレの誕生日なのか…。57歳という年齢に自覚のないオレは、突然、異名者の何者かになる。