秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

恵方巻

さて、西暦に置き換えられた旧暦の行事では、今日は晦日。明日が節分。いわゆる旧暦の正月。しかし、今日が日曜日ということで、節分の豆まき、恵方巻の行事があちこちで行われている。乃木神社からも節分の豆まきの声が聞こえてくる…。
 
一日はっしょって節分がやられているように思えるが、実は、年中行事の多くが暦通りというのも、本当は正しくない。
 
旧暦の正月など年中行事は、月の周期、年によって変わるからだ。いわゆる中国の春節がそれ。今年の春節は、2月9日から15日。9日が大晦日に当り、2月10日が元旦。
 
西欧化を基本においた明治政府は、旧暦から西洋暦に変えるときに、国民に違和感を抱かせないために、旧暦の年中行事をほぼこの辺が妥当だろうと、西洋暦にうまく定型化した。節分も節句もお彼岸も、だから、日本では旧暦のように年によって変わることはなくなり、毎年の暦にまったく同じ日で記載されるようになった。

中国から朝鮮半島、そして日本へ伝わった年中行事の伝統文化を西欧化の中に実に見事に取り入れた。結果的に、この精神が中国・朝鮮、もっと広く指摘すれば、シルクロードから流れてきた中東を背景とする日本の伝統文化やそれによる精神性をうまく塗り替える形になり、日本人の中に世界にもない、不思議な文化的多重構造を成立させることを可能にしたのだ。

戦前までは、それでも地方や田舎では旧暦の行事がそのままに頑なに守られていた。アジアのどの国よりも早く近代中央集権国家を築いたとはいえ、依然、地域共同体の力が強く、そこに依存していたからだ。
 
それには、藩政が地域に徹底していたことが大きい。政治構造は変わっても地域の伝統工芸や特産品、特産物、伝統文化や芸能は地域をつくる共同体の中で、世襲や継承、伝承、口伝といった人、いわゆる身体を仲介としてつながり続けていた。

そして、その多くが藩政の中で、地域財政を支えるためにベンチャービジネスとして誕生したものや既存にあった萌芽を地域の特色として掘り起こした結果だった。民を直轄する者にとって、治世を安定させ、かつ人心を掌握する上でも地域へのこだわり、共同体の力を生かす道が得策であり、他との差別化を図る有力な手法だった。
 
山形の紅花にせよ、輪島の漆にせよ、徳島の藍染にせよ、佐賀の有田や鹿児島のサツマイモにせよ…とにかく、枚挙にいとまがない。

その逆をいくのが、中央集権化であり、大量生産化、グローバルスタンダードといわれるアメリカ化だ。何もなかったところに力技で工場や電力事業をつくりだし、自然を壊してでも、土地を大改良して効率性の高い農業、畜産をやる。
 
手間暇と生産性の低い伝統工芸や小規模農業よりも、平準化され、一律に提供できる高品質を大量につくり出す。これを売り出すための大型販売店舗、いわゆる量販店が小売店を駆逐する。ネットでいえば、わざわざ地域へ行かなくていい環境を提供し、大規模ECが地域そのものをなくしていく。

食は均一化され、季節感はなくなり、ことさらに、何とか物産展をいわなければ、地域の感触を感じ取ることができなくなった。

恵方巻もついこの間までは、西日本の限られた地域でしか知られない節分の習慣。それがいまはどのコンビニでも、スーパー、デパートでも広く日本にあった習慣のように宣伝され、また、都会の人々がそれを消費している。だが、儲かっているのは、それを生んだ地域ではなく、大量消費を扱える大企業だ。そして、いつかそれを生んだ地域は忘れられていく。

東日本大震災はいろいろなことを日本人に教えようとした。だが、そこから日本人は、まだ、何ひとつ学ぼうとはしていない。