秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

中秋の驟雨

一夜あければ、中秋。一機に秋がきた。しかも驟雨。
 
昨日の夜は中秋の名月。都会では月見は、いまや最高の贅沢になりつつある。月見をするには、広い空がのぞめる家が必要。できれば、縁側と庭が欲しい。さもなくば、せいぜい高層マンションでもなければ、いまや月見などできはしない。
 
季節の端境期、春や秋が短くなり、夏と冬が直結するようになり、季節の歳時を確かめる季節感もゆとりもなくなっている。
 
当り前の歳時を当り前にやる。それがなくなっているところに、家族の日常も絆も、生活のけじめも、心のけじめも失ってしまったような気がする。
 
日々を大切に生きるというのは、そんなささやかな歳時を大事にするところにあるような気がしているのだ。
 
人は、自然。自然のリズムのなかにしか、所詮生きられはしない。倫理も道徳もそうしたリズムをきちんと刻むところでしか育ったない。
 
ある女の子に、セックスって楽しむものなんですか?と聞かれた。その子はセックス体験が比較的少なくて、まわりの男たちにその稚拙さを克服するために、セックスを楽しまなくてはといわれたらしい。
 
セックスは、楽しむものではなく、音楽のように、二人でつくりあげるもの。心を通い合わせ、互いが互いの気持ちを確かめ合うもの。
 
そういうオレの言葉にずいぶん感動していた。人は自然、セックスも自然の摂理。すべては、自然関数の数字に支配された、規則性の中にある。つまり、セックスにも倫理と道徳はあるのだ。
 
それを知るにも、季節の歳時を知ることは大事なことだと思う。