秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

不道徳のすすめ

吉田修一原作・脚本の「悪人」が、モントリオール国際映画祭で主演女優賞を受賞した。
 
このところ、東宝は、大メジャーとは思えない佳作、秀作映画の制作に力を入れている。社として動いているというより、川村元気という若いが才気のあるプロデューサーの熱意に動かされている。
 
低予算ながら、質の高い映画。それをつくろうとすれば、俳優もスタッフも大作映画以上の苛酷な条件で映画づくりをやらなくてはいけない。ギャラの面でも、撮影現場での福利厚生面にしても、厳しい状況が待っている。
 
それを乗り越えさせるのは、原作があれば、原作の素晴らしさだし、それをシナリオに落としたときの的確さ、そして、キャスト、スタッフの熱意以外何もない。
 
国際的な賞にかかわるということは、名誉なことだけど、それがそのまま、継続的な経済保証につながるわけでもない。結局、熱意しかないのだ。
 
テレビドラマがつまらないという話をこの数年、よく聴く。制作本数も減ったし、予算も削られた。もともと不況下にあったテレビ業界。この間のリーマンショックからは、まだまだ立ち直れていない。それがテレビの質にまで現れている。
 
いままともなドラマをつくっているのは、NHKくらいなもの。スポンサーの意向に支配されない強みだ。テレビドラマには、それほど規制が多くなかった。よいドラマだからではなく、スポンサーを喜ばせ、説得できるものでないと放送まで漕ぎ着けられない。
 
映画も資金を必要とするが、即物的で生活情報的な媒体であるテレビと違い、作品性や内容を問おうという雰囲気がまだ、テレビよりは残されている。その分、スポンサーも寛容な一面がある。寛容であるだけ、作品の質へのこだわりは深くなる。いい意味でも、そうでない意味でも。
 
キャタピラー」「告白」そして、今回の「悪人」。このところ、質のいい日本映画が続けて公開される。その文脈が失われないことを願う。いつか、ひとりのプロデューサー、ひとりの監督の熱意だけでなく、文化、藝術に深い理解を持つ多くの映画ファンに支えられて、こうした日本映画らしい作品が制作されていく時代がくることを願うばかりだ。
 
つまりは、明るい正義や正しい愛からではなく、倫理や道徳を離れて藝術があることを理解できる人々によって支えられる時代が来なくてはいけない。
 
人が不道徳と思う世界に、実は、人間の真実や社会の実相がある。それを描くのが本来、表現者の使命ではないかと思う。