秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

腰のマッサージから

毎年のことだが、この時期なると、良質の特番ドラマやドキュメンタリー、旧作の名画が登場してくる。数として、そう多くはないが、制作者たちの熱意や思いの込められたものもその中にはある。

私たちの世界は、テクノロジーの進展と不可分ではない。舞台にせよ、映画にせよ、テレビにせよ、イベントにせよ、技術の発展や開発があって、これまでできなかったことができ、これまで多くの人力とコストを必要としたことができるようになる。やれることも広がる。

だが、そうした技術も、制作者たちの側に熱意や思いがなければ、決していいものにはならない。いや、熱意や思いだけでも、いいものはつくれない。

熱意や思いを実現するための、こだわりや粘り、根気がいるからだ。ものをつくるためのいろいろな条件や事情、環境が整っていたとしても、妥協しない強さ、甘んじない強い心、それでいて、こだわりを我執や自己満足、手前味噌にしない、謙虚さと清廉さがいる。

ち密な計算や設計も必要だ。どのような社会的に貢献度の高いものでも、結果として、収益につながるものでなくてはならない。そのための現実的な計算もいる。

だが、それが先んじて、計算ばかりが先行していると、じつは、粘りや根気はどこかでくじける。これくらいでいいだろ。もう十分やった…。そんな言い訳が差し引き計算の中から頭をもたげてくるからだ。計算でしか、人とつながれず、打算でしか行動しなくなる。

私たちの国は、いつからか、粘りや根気を失ってきていないだろうか。それは、いうまでもなく、私たち国民自身が、粘りや根気を失ってきているためかもしれない。

それをやると労苦が多く、それをやったからといって、評価をえられる保証はなく、それをやれたからとって、ほめてもらえるわけではない。そして、それをやれば、疲労する。そんな世の中だからだ。

今年は、いろいろなことで多忙な1年だった。そして、それはまだ終わっていない。

私も、もうこれくらいでいいだろ…。そんな思いが何度も心の中に浮上した。自分を試されるような1年だったと思う。そして、現実に、十分に納得いくほど、粘り、根気強く向き合ったかどうかは自信がない。

やり抜くことだけに必死だったのかもしれない。だが、そんな不完全な中でも、何事につけ、粘り、根気づよさ、そして、時に、忍耐が必要なことをいままで以上に教えてもらう1年になった。

いまショートフィルムの教育映画のまとめに入っているが、留守にしいたにもかかわらず、また、私のわがままに付き合ってくれている連中がいる。

粘りと根気づよさ。計算よりもそれを先にさせてくれているのは、映画に限らず、そんな私に付き合ってくれている人たちがいるからだ。そうした出会いがあるからだ。

もう少しだけ、わがままを聞いてもらおう。まずは、腰のマッサージからw