私たちを許してください。私たちもあなたを許しますから
9月11日がきた。
9年前の2001年9月11日、その日、あなたは、何をしていただろう。
世界の情報が衛星通信によって、一瞬に知りえる世界で、この地球に暮す世界中の人々が、リアルタイムで、世界貿易センターに突入する旅客機の機影をなすすべなくみつめていた。
あの日、マンハッタンやペンタゴンのあるワシントン近郊の人々以外、テレビのモニターの中で起きた異変を、まるで、映画のワンシーンのように、多くの人々が実感のないまま、見つめ続けていたのだ。
あの日から世界は大きく変った。9年前の2001年9月11日、その日、以後、あなたは、どんな人生を生きてきただろう。変っていく世界にどうコミットしてきただろう。
この9年間、世界で、この国で起きた出来事をあなたはどうみつめ、知り、そして、考えてきただろう。自分の生活の中で、どれだけ世界を知ることの大切さを実感でき、それを実行してきただろう。
世界の辺境で起きてる、内戦や紛争は、自分たちの生活とはほど遠く、それが自分たちの明日の生活を変えてしまうほどの憎悪など持つはずはないと思い込んでいた。
あの日、アメリカ人のだれもが、自分たちが信じていた世界の大きさは実に小さく、辺境の人々に抱かせた憎悪は、決して、辺境の地で終わるものではないことを知った。そして、実は、自分たちは嫌われた権威者であるという事実の前に、嫌われ者は、より大きな武力によって、より大きな憎悪によって、辺境の人々への報復を始めた。
2002年5月、イラク戦争前夜、オレはグランドゼロをたずねた。記帳の壁に、英語で書かれたこんな短い文章があった。
「私たちを許してください。私たちもあなたを許しますから」。
半径3メートルの世界で人は生きることはできない。世界の、この国の現実を知れば、到底、半径3メートルでは生きられなくなる。
「私たちを許してください。私たちもあなたを許しますから」。世界を知ろうとしたとき、人は、初めて、そういえる。
世界を見ながら、だれも世界を知らない、知ろうとしない。国を見ながら、だれも国のいまを知らない、知ろうとしない。
半径3メートルの幸せがあれば、それが世界の幸せだと考えてしまう、愚かな国の愚かな人々。明日、自分も予測しなかったところで、憎悪の手榴弾が爆発するかもしれない。そんな脳天気な日々が続いている。