秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

残りの人生でできること、できないこと

意地や見栄の裏には、寂しさがある。
 
人に負けたくない。人に評価されたい。認められたい。愛されたい。有名になりたい。儲けたい。自分を守りたい。あるいは、みんなと同じでいたい…。
 
かなえられない願いがあると、人は他者に、周囲の人々の視線に対して、意地や見栄を張る。いや、実は、自分自身に意地や見栄を張っている。
 
意地や見栄があるから、意地や見栄を張りながら、不安になる。不安になるから、一層、意地や見栄を張る。そして、そのうち、それが意地や見栄や体裁であることを忘れる。忘れることで、自分自身の中にある不安をなかったことにする。
 
有事は、これがうまく機能しない。予想しない出来事、予期しない問題、突然の事故に出会うと、普段、こうして、しのいでいる不安が、一気にパニックに変り、爆発する。
 
陽性に爆発する場合、他人を責めたり、暴言を吐いたり、暴力をふるったりといった行動を示す。陰性に反応する場合、自分を責めて、他者とのふれあいを拒絶したりもする。怒りとひきこもりという代償によって、心のバランスを図ろうとする。
 
あるいは、別の代償行為で、不安から逃れようとする。セックスを求めたり、買い物に依存したり、賭け事、趣味嗜好に極端に依存する。それまで以上に仕事に没頭しようとしたりもする。
 
だが、本人は、ほどんど自覚がない場合が多いから、自分の行動は、何かの代償行為ではなく、自分の生活にとって必要なものだと信じ、思い込もうとする。自分の言動は正しいと整合性を持たなければ、自分という人間の尊厳が維持できないからだ。
 
だから、陽気さや明るさを示し、軽口やジョークを飛ばすことを忘れない。自分の心の深層を自分が気づきたくないから。それが、人を、さらに追い詰める。
 
本人に自覚が希薄だから、精神的なバランスを崩して、自分が苦しい方向へ歩んでいることに気づけない。確かに。薬物などと同じで、代償行為は、心の奥に抱え込んでいる不安を一定期間、麻痺させることができるからだ。
 
マジメに生きなくては。正直に生きなくては。軽薄に生きてはいけない。努力しなくては。人によく思われる自分でなくては…。人生や生き方に一貫性を求め、律儀さと、かくあるべきという考えの強い人.ほど、このスパイラルにはまる。
 
それが、一層、その心の深層を人に見えなくさせる。大丈夫なのだろうと、人は思い、励ましてみたり、賞賛してみたりする。
 
いま、うつ病を題材にした作品の仕込みに入っている。その中で、こうしたことを再び学んでいる。
 
この1週間は、びっくりするようなこと、心を砕かなくていけないことなど、仕事もプライベートも慌しかった。
 
その中で、うつ病の取材をやり、病気の家族を抱えた人、仕事とプライベートなことで悩んでいる人、息子さんのことで問題を抱えている人など、いろいろな人たちの無事を願って、来月5日のお彼岸法要の戒名を書かせていただき、法要の御礼の喜捨をさせてもらったりしている。
 
何かの力になるとは、信じてもらえてないかもしれないが…。
 
自然観察会でやる朗読会も明日に迫った。
 
数日前、急遽、東映の新たなコンペの打ち合わせも入る。昨夜は、議員秘書の仕事を探してもらっていたYさんが急遽上京し、赤坂塩野で羊羹を買い、ハイヤットホテルに挨拶に出向く。
 
猛暑の中、飛び回っている。そして、いろいろな話をするにつけ、今回のうつ病の作品もそうだが、人の心に何事かを伝えるのは、難しいことだなぁとしみじみ教えられている。
 
うつ病当事者の方からは異口同音に、いい作品をつくって欲しい。それほど苦しいとオレの仕事に期待と励ましの言葉をいただいた。重い言葉だった。
 
慌しさの中で、オレが残りの人生の中でできること、できないことは何かを、改めて考えさせられる。