秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

苦しいときほど、人のために

アフガンについての資料を、改めて、集めている。
 
といっても政治的、軍事的なそれではなく、生活資料的なものだ。いま企画している映画の台本のテスト稿をつくるため。
 
ターリバーンやアルカーイダなど反米勢力との間での戦闘や国内紛争で、アフガンの生活情報は、ほどんど海外に流れていない。
 
理由は簡単。2008年のペシャワール会邦人拉致殺害事件のように、NGOスタッフ、取材記者などへの拉致、殺傷事件が続き、外国人の滞在が危険なのと、入国が厳しく制限されているからだ。これはイラクも同じだが、アフガンの方が遥かに危険度は高まっている。
 
2001年のアフガン空爆後、イラク戦争が始まる前、イラク戦争反対のイベントをプロデュースしたとき、いくつかのNPO団体から中東情勢について、情報を得ることができた。
 
そのとき、海外支援活動をやっているJENの木山啓子を始め、大半の人間が口にしたのは、人々の関心がイラクに向いたとき、アフガンが一番危険な場所になるという言葉だった。そして、それは、イラク戦争後、治安維持活動という名目で、米軍の主要部隊が駐留するようになって、すぐに現実になった。
 
それだけ、いまアフガンの治安は悪い。情報が外に流れないことで、アフガンの現状を知る人も実に限られてしまっている。ブッシュというオツムの弱い人間が始めた破壊。それが、アメリカという国の、そして世界の最大の悩みの種になっている。
 
中東は宗教を抜きにして語れないが、いま世界の宗教界で最大の課題になっているのは、アフガンの平和と安定への道筋をどうつくるかだ。
 
同じイスラーム同士でも、部族間、宗派間での対立は歴史的に根深い国。それを克服しなければ、実は、アフガンの平和と安定はないに等しい。これは、イラクにおいても然り。
 
それを自分たちには、無縁なことだということは誰にでもできる。そうした、対立を前提とした国を一つにまとめることは不可能だと、アフガンや中東の現実から眼をそむけることは、誰にでもできる。
 
しかし、オレたちの国は、2001年のグランドゼロ以後、アフガンにおいても、イラクにおいても、国連安保理を無視した米国の方針を支持した。その政権をついこの間の政権交代まで、オレたち国民は選択してきたのだ。
 
自分たちの国さえ、戦争やテロに巻き込まれかねない危険を冒す政権を、郵政選挙という名目で圧倒的に支持したのだ。それがアメリカ隷従の政権がやった暴挙だったとしても、それを見抜けず、支持した事実は変らない。
 
テレビ朝日東映の映画『相棒』をオレが絶賛したのは、その事実をきちんと観客に突きつけたからだ。
 
暴力は肉親や近親者をも巻き込んだ憎悪を生む。戦火という暴力は貧しさを生む。その貧しさが、また、より深い憎悪に変る。だから、どのようなことがあっても戦争や暴力によって問題を解決してはならない。
 
また、戦争や暴力によって、問題が解決した歴史は一度もない。だからこそ、暴力は支持してはならない。
 
実は、日本国憲法では、それを高らかに謳っている。
 
だが、人は暴力と常に同伴している。ささいな不平や不満、意見の相違でも、それは、いつでも暴力に変るからだ。内なる暴力の芽と、一つひとつ、向き合わない限り、それは乗り越えることができない。
 
その一歩は、生活の、社会の、世界の現実から眼を背けないことからしか、始まらない。オレは、そう思っている。かといって、眼を背けざるえない現実があることも否定しない。自分の生活で精一杯で、そんな遠くの紛争のことまで…と、思ってしまう生活の苦しさもわかっている。
 
だが、それでも、自分たちの生活の中で、眼をそむけたくなる現実に対して、ささやかでも、できることはある。
 
オレはいま、ある取材の中で、出会いの中で、自分にできる平和を実践する人の姿を通して、それを学んでいる。
 
自分が苦しいときほど、人様に役立つことを…。おふくろがいった言葉だ。