秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

もっと楽に生きればいいのに

運動、復活すればいいじゃない…。
 
そういったのは村娘。その言葉に、そうだ、曲がった心、歪んだ心を糾すには、運動だったと、はたと気づく。運動を欠かさずやっていたとき、このブログでそれを語っていたのはオレ自身だった…。
 
同じ頃、福島県三春町の臨済宗の住職で、芥川賞作家玄侑宗久氏のことをこのブログの「不思議体験」で紹介したことがある。仕事で、来訪したときに受けた、不思議な感覚と感動。それが、京都出身の氏の奥様が入れてくれたお茶とふとした話の中に凝縮されていたという話…。
 
境内の桜を見物にくる客が、まだ芽吹いたばかりの足元の花木を踏みつけてしまう。柵を設けてはどうかというオレの提案に、「それは、もっと悲しゅうおますやろ…」と、やわらかい京都弁で応えた。
 
どきりとした。
 
物言わぬ墓石の佇まいと、鎮魂のように艶やかに咲く桜…。その世界を現世欲で、草木を踏みつける心無い現実の性…。だが、それが人間が生きるという現実だ。だとすれば、奥様がいうように、そこになにがしかの規制を敷くことは、正しいことではない。
 
あるがまま。その中でいのちをいたわることが大事なのだ。人が生きる不条理の中で、いのちをいたわる。彼女は、理屈ではなく、心の芯でそれを理解している…。オレは、それに気づいて、湯飲みを持った手が止まった。
 
その瞬間、玄侑宗久という作家をつくったのは、この奥さんだと確信した。事実、下調べなしで、著名人を取材するオレが、その後、氏の著作を読み、作品の随所に、ときには主人公として、奥さんが登場していることを知った。
 
玄侑氏は、歩行禅を提唱していて、歩くことで自分の心をみつめることができると何かで語っていた。それをふと思い出し、オレは毎日、歩くようになった…。
 
仕事のことや引越しのことやなにやで、この半年、たぶん、オレはパニックになっていたのかもしれない。忘れていた記憶を思い出させてくれた村娘に感謝しながら、昨日から運動を復活させている。
 
不思議なものだ。そんな心で、映画の企画で、キーマンになるだろうと読んでいた某大手企業の担当者と会うと、素直に、この企画なら資金が集めやすいから取り組もうとしていると、ぶっちゃけでこちらの思いや願いを伝えられた。
 
久々のスーツにネクタイ。帰り際、前のチャックが開ていることに気づいて、ひとり苦笑する。いままで経験したとのない、オレのスキ。だが、なぜかうれしかった。
 
もっと楽に生きればいいのに…。ふとその言葉が蘇り、これでいいのだ…と、思えた昨日。