秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

民主主義という怪物

気に入ったことだけやる。気に入った人とだけつながる。気に入った人の集合を目指す…。一見、自由で当然のことようだけれど…

民主主義というのは、自由、平等、博愛といった、その掲げる普遍的価値Universaly Valueがなくなれば、ここにあるように、相性や共感、同調といった短絡的で感情的なもので結び合うようになっている。

もともと民主主義というのは、危うく、あやふやなものだ。決して、制度として、最善でも、最良でもない。

哲学者プラトンが指摘した通り、民主主義の主役である民衆は民度が低くなれば、容易に感情、情念といったものに支配される。

直近の課題に対して、衝動的で単純、短絡的な解決策を求め、近視眼になることで未来に禍根を残す判断をする危険がある。

そこでは、民主主義が持つ崇高な理想や普遍的な価値といったものは簡単に棚上げにされ、多数を正義とする神話が一人歩きする。そして、いつか多数を否定するものへの暴力が容認され、多数に組みしない者は除外され、圧政に虐げられる。

しかも、それは、圧政者の顔でなく、民主主義の背広を着て、何食わぬ顔をして、そこに立っているものだ。何のてらいもなく、それが正義でもあるかのように。

身近な事象でいえば、いじめを生み出す仕組みに、これがある。

ぼくが民主主義の敵は、民主主義そのものだというのは、このためだ。人類の崇高な理想をふっとばして、民主主義の主役であったはずの市民そのものが、圧政や暴力に熱狂して加担する。

問題なのは、その熱狂のスイッチは一瞬にしてONされることだ。入った途端、それは、自らの狂気が燃焼しきるまで、OFFに切り替わることはない。

国内政治で行き詰まり、支持率は低下するばかりのトランプ政権は、突然シリアに直接介入し、呼応して、北朝鮮にガチンコを仕掛けている。安倍総理は手放しでこれを絶賛し、戦争ともなりかねないトランプ政権の対応を全面支持した。

自衛隊を同行させ、9条の解釈変更と安保関連法の強行採決の妥当性がここで証明できると気色ばんでさえいるように見える。

だが、国民の半数近くは、きっとこれを支持しているだろう。

人として恥ずかしいほどのアジア隣国への差別意識と偏見。それに逆行する強烈なアメリカ依存と同調が当たり前にされている、この国で…

アメリカが軍事力を行使してくれたら、溜飲が下がるとわくわくしている人もきっと少なくない。

いつミサイルが飛んでくるかわからないのだ…だったら、やっちまえ!

かつてこの国が戦争をはじめたとき、国民の半数以上は同じように熱狂し、軍部以上に戦争に突き進んだ。無知な左翼がいう軍部の独走でもなければ、一部の右翼が起こした戦争などではない。操作されたとはいえ、国民が選択したのだ。

そのときといまは状況も、制度も憲法も違う。そういう人もいるだろう。だが、民主主義と憲法が、報道と集会の自由が骨抜きにされながら、それをよしとしている国で民主主義は機能しない。

暴力と威圧でしか、問題は解決できない。そのために、強引な治世や外交、強権的な治安、安全保障が必要だとするなら、力ですべてが解決できるというなら、政治家は何のためにいるのだろう。官僚はなにをするために官僚なのだろう。

トランプ大統領と同じで、ぼくらは、民主主義をもう一度学ぶところから始めなくてはいけないらしい。そうしなければ、民主主義はいくらでも怪物になる。