秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

正義の話をしよう

21世紀の新世紀を迎える頃、リベラリズム自由主義)を背景とするネオコン新保守主義)が、ブッシュ政権を偏狭なイスラエル擁護、中東におけるイスラエル優位主義にによって、パレスチナとの和平交渉から撤退させた。

撤退するどころか、イスラエルへの武器支援を史上類をみない規模で促進させたのだ。

その結果起きた、9.11(テロリストによるものか疑念が持たれているが)とその報復のアフガン空爆大量破壊兵器保有するというデッチ上げによって、泥沼のイラク戦争へ向かわせたのも、このリベラリズムだ。

アフガン空爆は、パレスチナ同様、大量のテロリストを生み出し、イラク戦争は、ジャスミン革命後の政治の不安定化の間隙をぬって、ISIS(イスラム国)を誕生させる契機となってしまった。

この政治状況を予見するように、当時、マイケル・サンデルが、「正義の話をしよう」と、活発な議論を世界に投げかけている。

アメリカのリベラリズムの限界と金融、石油エネルギー、核を含む軍事によって膨大な利益をえているユダヤマネー、市場自由主義経済によって、富める者を優先させるアメリカ資本が選択する「正義」に、深い疑問を実証的に投げかけたのだ。

簡単にいえば、アメリカのリベラリズムが自由競争を前提とする「正義」は決して普遍的な価値と体系をなしていない、世界の全体ではなく、自国の富裕層や特権階級による独善的正義でしかないという痛烈な批判と指摘だ。

ピケティは、さらに、それを拡大し、富の集中による格差世界の問題として指摘を深めた。

決して、開発途上の国やその途にもつけていない極貧国における富のアンバランスにとどまらず、資本主義の限界点として、先進国の中でも貧困を増大させ、それがISISなど海外のテロリズムへの人的供給源になっている。国内における貧困に目をつぶり、いや、その犠牲もやむなしとして、富めるものたちが生き残る国、世界をつくる。その姿として、自由市場主義、リベラリムを糾弾している。

いま、国会で安保法制の議論が展開している。

だが、こうした世界の構造が生む地球規模の富の非均衡と集中をもとに、アメリカが目指す安全保障を議論する政治家がひとりもいない。

世界の資本、財、これを得られる特権階級や政治的な特権を持つ民族、人種。その富の集中と富を維持、増大させるための既得権や制度の維持と強化…。

アメリカが求め、かつ、いまの政権中枢、政治家、一部国民が受け入れようとしてる安保法制は、決して、本題は、軍事にあるのではない。自らの富の安全保障なのだ。

富の集中と市民、国民の切り捨てを前提とする自由競争主義国家連合の議論なのだ。それを急ぐ脅威としてあるのは、軍事大国としての中国ではなく、経済の覇者を目指す中国だ。ここに、どのような理由をつけても、軍事行使が出てくる。有事にならなくても、有事になっても、いずれも自分たちの富は増えるか、守られるからだ。

首相にせよ、防衛大臣にせよ、外務大臣にしても、まともな答弁ができないのは、当然なのだ。軍事安保の問題ではないがゆえに、安保法制における的確な理論も、ビジョンもありはしない。また、野党も、軍事安保の問題としてしか、議論する能力がないから、次の議論へと持ち込めていない。

この国をアメリカのように、競争原理のみの基準とし、軍事も経済、ビジネスシーンとしてしか考えない。そこに、軍事安保を世界的な危機、近隣諸国の動向を持ち出し、経済の話とすり替えている。

そのことによって、自分たちの富が増え、守られる。それを一番、いまの政権がよく知っている。だが、それしか知らないから、アメリカにいわれるまま、安保法制も、憲法改正も急いでいる。

だから、この人たちに正義の話をしようと呼びかけても、所詮は危機ばかりを語り、まともな危機的状況が解説できるわけがない。それよりも、富といまのポスト、そこにある権益と華々しい立場で東京オリンピックを迎えて、歴史に名を残したい…

その手前勝手な正義があるだけだ。