きばらない女優
またまた寒の戻り。今年は、春の足がとまりがち。その一方で、桜は、強い風に煽られ、葉桜の頃を迎えている。
「葉桜の頃 公園の椅子に 復讐の文字を 刻みけり」。
この時期になると、いつも萩原朔太郎のこの詩の一節がふと浮ぶ。そして、前橋市の郊外にある、ただっ広い敷島公園とそこに移設されている朔太郎生家を思い出す。十年ほど前、前橋の仕事の関係で、朔太郎がオレにくれた宿題は、まだ片付いていない。
自主作品の音付けの作業で、中野坂上のディオススタジオへ。途中、外苑絵画館周辺の桜も、御苑の千駄ヶ谷大門辺りの桜も、道すがら立つところどころの桜も散りかけている。散り行く桜にすがるように、見物客が大門の入り口に続いていた。
音効のKが東宝の本編作品の作業とオレの作品の掛け持ち状態になっていて、スタジオに入ると、予想したとおり、アシスタントのS君だけが待っている。
Kは、未明の2時にスタジオに戻り、オレの作品の作業を終えて、5時過ぎに、再び日活撮影所にトンボ返りしたらしい。奴は結局、この1週間、ほとんど寝ていない。オレたちの仕事は、眠れないときは、本当に眠れない。
S君にSEのダメ出しをし、修正を終え、作業が終わったのは、夕刻5時半過ぎ。女優の内田と約束があったので、急ぎ自転車を飛ばす。
これまで大泉圏内でしか生活していなかった女優の内田が、地元のトランポリンのコーチをやめ、バイト先をかえ、乃木坂の料亭で働き出した。それと同時に、巡回公演の児童劇団のオーディションを受け、女優としての生活を広げようとしている。
オレの作品にも出演してもらった往年のスターで、有名女優のMさんが出演している舞台を観た足で、うちの事務所で落ち合う。西麻布の胡同で焼肉を食い、オレお薦めのケーキ屋でスイーツを食べて乃木坂に戻っていたら、オーディション合格の通知が携帯に入った。
強化選手にもなった特技のトランポリンを断ち切り、生まれも育ちも大泉という世界を飛び出し、かつ、芝居のことを四六時中考える生活へ、すべてを切り替えるためのその一歩。奴の描くイメージ通りに事が進んでいるように見える。
今回のオレの作品で、いい芝居ができなかったことが逆に奴を目覚めさせた部分もある。オレがいっていることは頭と言葉では、もうわかっている。後は、人それぞれある俳優としてのスイッチを、素直に押すだけ。それについては、また、がたがたいっていたが、時間はそう遠くないような気がしている。
奴にいわせれば、オレはいつもボコボコにしているらしい。が、しかし。昨夜は、珍しくあれこれ、素直に褒めてやった。
季節には季節のファッションを。母親にもそういわれていたらしいが、昨夜の寒さの中、がまんの春のファッション。口うるさいオレが、女優なら、女ならこうしろと、これまで、あれこれいってきたのもあるが、日体大の体育会の血液が少しずつ抜けつつある。
身構えず、背筋を伸ばさず、力をぬいていれば、昨夜のように、かわいい女になれる。そのゆとりと隙間といい加減さが奴には必要。
桜が惜しみなく散っていけるのは、美しさにしがみつかないゆとりの美なのだ。
それが生活の中でも、仕事の中でも実践できれば、きばった女優ではなく、「きばらない女優」としての奴本来の魅力が、きっと開花する。