秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

花見の説教

この数日の寒さはどうしたのだろう。とても桜咲く季節とは思えない冷え込み。
 
その寒さのせいか、自主作品のこまかな詰めの作業のせいか、はたまた、連夜の飲酒のせいか、身体が悲鳴をあげる。
 
格闘技で相手の動きを封じ込めるのに、最適な攻撃はボティブロー。内臓を攻撃されると、人は、動きが止まり、戦意をなくす。だから、胃が荒れたり、肝臓が重く感じると、思うように行動ができなくなる。
 
なんとか凌いでいたが、昨日の寒さの中、夕刻近く、弁当をぶらさげて、御苑に花見にいったのがいけなかった。やはり、歳だ。たまっていた疲れがどっとでる。
 
誘ってきたのは、小町。日を改める手もあったが、これはいい機会だからと付き合う。ねらいは、説教。女優としての小町のあり方について、ビシバシ説諭する。実は、前々から、いつか、きちんと、こいつには、きつい話をしなくてはいけないと思っていた。
 
器用であること、世渡り上手であること、出自に特質したものがあることは、決して、役者にとって得ばかりにはならない。不器用であることが大事なときの方が、実は、多い。吉川奈緒をオレが絶賛する理由もそこにある。
 
そのわけを聞かされ、マジ話をされたが、秀嶋組の俳優の一員になれるようにがんばりたいという言葉が最後に出た。おそらく、厳しく鍛えられる場に自ら身をおかなければ、これから先、女優としての地歩が確立できないことを、奴は直感している。
 
久々、マジ説教をして、別れると、またまた疲れがどっと出る。人に何事か、厳しいことを語り、それを糧にしてもらいたいという思いがあれば、こちらの構えも覚悟もいるし、それなりに体力を必要とする。
 
疲れが出たところで、もうひとふんばり、運動をすると、いい感じで疲れがぬけ、だるさもとれるのだが、自主の手直し作業を急がなくては、4月中旬のリリースにまにあわず、運動や休養をやっている場合でもない。
 
そんな中、和田村のYさんから、同宗連の雑誌取材の依頼をもらう。以前、立正佼成会の人権啓発作品をつくった縁で、宗教団体における人権啓発活動の重要性を語っていた。そんなオレの仕事をYさんやスタッフのみなさんが気にかけてくれていたのだろう。
 
村娘がオレと会ってまもないころ、「疲れない?」と、何度も聞いてきた。オレの姿を見ていると、疲れるだろうにと思ったらしい。確かに。
 
だが、いろいろな生活の局面で、改善すべき課題、人々の幸せの障害となっているものに、気づきを持ち、目覚めた者は、疲れていていも、まず、その本人が声をあげ伝えなくてはならない。
 
一度、覚醒すれば、それはありとあらゆる世界のすべての局面に、その姿が見えてくる。
 
その声が覚醒した一人をつくり、また、一人をつくる。それらが手をつなげば、社会は、世界は変えられ、自分のあり方、生き方も一つの指針へ導かれる。
 
それは社会を変えるという大儀ばかりでなく、女優としてどう生きるかという生活の指標の中でも同じなのだ。