秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

56歳の革命

2月に入ってから新事務所の紹介やら、○○パーティやら、自主作品の制作打ち合わせ、慰霊祭の流れやらで、飲みが続いている。

昨夜は、その一連の流れの最終日。自主作品の公民科教材で自民、民主の有力議員の取材段取りや国会映像の手配をこころよく引き受けてくれた、政治や人権の啓発部署にいるYさん、Oさんに御礼をこめて、新事務所に来てもらい、近くの韓国家庭料理の「韓」で接待する。

長い付き合いのYさんとは折にふれて飲んでいるのだが、Oさんとは初。秀嶋さんは、興行収益100億円とかという大作の監督は目指さないのか、に始まり、あれこれ質問攻め。

そういえば、オレがなぜ社会派映画や人権啓発作品をつくり続け、かつ、自分の原作作品の映画化にこだわっているかを彼らにきちんと伝えたことはなかった。

監督として有名になることが大事ではなく、描きたい世界、描き、伝えねばならぬと思っている自分の思いを作品化することが、オレの大事なのだという話に、なるほどなとOさんたち一応に頷く。

映画はもちろんエンターテイメントであるが、映画芸術でもある。作家=監督の思いや熱意のある、メッセージ性を持ってこそ、映画といえる。というオレの考えを初めて、マジに聴いて、納得した様子だった。

そして、今回の移転を含め、原作をつくる時間を少しでも多くし、生活のために作品を手掛けるのではなく、本来、自分がつくりたいと願っているエンターテイメント性もありながら、どんと社会へのメッセージを含んだ原作づくりに邁進したいからだという話に、同時進行の掛け持ち作業はできないのかと、鋭い質問。

それができないのが監督なのだ。プロデューサー稼業なら、現場に付きっ切りである必要もなく、時間のやり繰りは自由にできる。チェック作業さえしっかりできる能力があれば、それは容易だ。現実に、オレが会社で役員をやっていた頃は、いつも10作品くらいの仕事を同時に走らせていた。

しかし、やはり、現場を失いたくなく、現場の指揮官として生きる道に戻るために、独立し、かつ、学生時代から自分が取り組もうとしていた社会的メッセージを持った作品を手掛けることに仕事をシフトさせてきたのだ。

企画から脚本、そして監督。それに経営者としての資金調達とプロデュサー業もやらなくてはいけないオレは、自主といえど、企画から始めれば、それだけで3ヶ月はとられる。東映などの作品を受ければ、それで4ヶ月はとられる。都合7ヶ月。しかも監督は、常に現場にいなくてはいけないから、早々に掛け持ちはできない。

その転換を探る大きな節目として、創業20年の今年を位置づけ、事務所も移転した。映画企画3本、小説企画2本、そして社会評論1本をとりあえずは、まず当面の目標として、この数年作業を進めている。それを誰もが読める形にまとめ、プレゼンするのが今年の目標。

だからといって、自主作品の仕事を疎かに考えているわけではない。自主作品を制作することで、クライアント物のイニシアティブがこちら側にない作品から、イニシアティブがとれる作品づくりにシフトするための、基盤をつくろうとしているのだ。

作家が頭の中で考えていること、現実にコツコツ書き続けている世界を、わずかな話で理解してもらうことはなかなかできない。だが、それでいいのだ。いずれ、それがわかるときがくるし、オレが何を描こうとし、何を伝えようとしているかは、時間とともに明らかになる。

それでも、YさんとOさんは、ぼんやりとながら、オレが目指しているものを理解してくれていた。

不思議なことだと思う。数年間まで、オレが心に描いていることを、聴こうとも、知ろうともしていなかった人たちが、こうして、オレの映画づくり、作家として目指しているものを少しでも理解しようと努力してくれている。

それはYさんとOさんだけではなく、いまオレの身近にいる人たちのほとんどがそうだ。

オレが実は、密かに企んでいるものに、少しずつ周囲が関心を持ってくれているということは、オレ自身の励みにもなるし、将来、きっと、そういう人々がオレの作品を支えてくれるのだろうと思う。

チェ秀嶋、56歳の革命はもうじきだ。倒れてなるか、メタボ騎士。