秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ゴミ袋の中

片付けをしながら、いまの事務所を使うようになって、足掛け12年になることに気づく。

実は、一度、生活の場として入居し、その後、会社の経営不振もあって、一度解約した。ちょうど、いまと同じ不況下で、1年後、こんどは、完全に自宅兼事務所のような使い方をしようと、場所を探していたら、オレが出たときのまま空室状態だった。

それも入れると実質、12年になる。

時というのは、振りかえると実に早い。若い頃は、まだ先の時間があるから、先ばかりを見て、なかなか実感が持てないが、50を過ぎれば、先がなくなり、人の一生がいかに短いかを痛感するようになる。

昨日は、荷造りの続きを決めこんで、とりあえず、台所と保管してあった収録テープや編集済みのマスターテープ、経理書類の整理をする。半日かけてやると、ゴミ袋に20個以上。

いま分別は細かいので、テープにしても、ケースと紙、本体で資源ごみと可燃ごみとに手分けしなくてはいけない。不要の紙類をいつももったいなからととっておくのだが、これもゴミにすると結構な量になる。

これまでは、生活の比重が大きかったから、食器類や調理器具もそこそこあったが、次に移転する事務所の狭い台所スペースを考えると、できるだけ不要なものは、破棄した方がいい。生活道具をゴミ袋につめながら、それらを自分が、どうしてこれまで捨てられなかったのだろう、と思う。

スペースがあるから、使わなくても置いておける。だから、そうしていたというのもあるが、やはり、かつて、ここを求めたとき、生活の場として考えていた部分が大きかったからだと、いまさらながら、思い当たる。

そして、上海にかみさんが帰った後、結構、いらないものを捨てていたのに、まだまだ、捨てていなかったものが多かったことに気づいた。もしかしたら、オレは、どこかで彼女との生活に、まだきちんとけじめをつけていなかったのではないか…。

そして、仕事の場として、事務所を使うということの気概にかけていたのだ、と改めて気づく。きちんと、家庭のことを考えろと苦言を呈してくれた人たちの言葉が、捨てていく生活道具の物と物がぶつかる音と一緒によみがえる。

昨日の夜、美容師のイワの誘いで、新年会をやることになって、いつものベティと、ちょうど空いていたYouの4人で、最近、よくいく、北京ダックのうまい、胡同四合坊(フートンスーフォファン)に行った。

例によって、辛さによわいベティは、四川唐辛子で、別の世界に飛ぶ。前に青唐辛子を食べさせていった言葉を奴は覚えている。「辛さの向こうのやさしさに気づけ」。人生とはそういうものだ。苦難や試練、痛みの向こうに、出会える奥深さがある。

二軒目に、イワが経営者のヘアをやっているという、ミッドタウンのA971でハイボールをやりながら、イワが何か自分の足跡を残すようなことをやりたいと言い出す。

女性は子どもを生むという大事業ができる。もちろん、子どもを設けず、一人で生きて行く女性もいるが、少なくとも、自ら痛みの中で、いのちを残すということを選択できる。男は、女性がいなくては、子どもをつくることはできないし、自らの痛みの中で、それを実感することもできない。

だから、イワのように何か自分らしいこと、足跡の遺せるようなことがやりたいと、クリエーターなら思う。

だから、自らの痛みで何かを残せない男は、老いがこわい。自分自身が納得し、社会的にも影響のある何事かを残したいという思いが、老いをこわがらせるのだ。

そのこわさが、若い女性を求める気持ちを生む。シェールの主演映画『月の輝く夜に』の名セリフ。浮気のやまない老いた夫に、妻がいう言葉。「どうして、あなたは若い女性を求めるの?」。その言葉に夫は、正直に答える。「死ぬのがこわいからなんだ…」。つまりは、老いのこわさ。

女性がどうして男性より長生きするのかは、子どもと孫の世話するため。自分たち夫婦の遺伝子を次の世代に引き継ぐために、女性は老いても役割がある。だから長生きする。男性は、生みの苦しみも、子育ての苦労も実は学習できない。子育ては手伝うことはできても、乳を与え、四六時中ともに過ごすことはできないからだ。

つまり、老いても生物学的に役割がない。だから、生きる実感を得たいばかりに、若い女性のまだ生き生きした肉体と心を求める。男の身勝手と批判されることだろうが、それが男の業というものだと、オレは思う。

そんな失敗や過ちをやり、男の身勝手を家族に押し付けた12年。身勝手さは、そうそうに克服はできないだろうが、それと別れを告げ、家族に押し付けた身勝手さの代償を自分の仕事で返すための、引越し作業。

一人暮らしには、ありあまる皿や食器が、ゴミ袋の中で、チャリン、カチャッと、別れを告げていく…。