秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

菩薩たち

午前中の予定だった、MA作業を午後に回してもらう。

前日の酒が残り、ボーっとしていたが、8時には起きていた。ところが、連休と言うことで気が抜けていたのだ、午前の予定を失念してしまう。

もう長い付き合いのスタジオのKは、わかっている。予定時間を1時間過ぎても現われないオレに携帯で教えてくれた。確か、以前も、そんなことがある。

多くの人間が関係する撮影での遅刻はないのだが、まとめ作業の最後にくる音づけ作業では、たまに、こうしたポカをやる。クライアントものではない作品では、基本、オレと音効さんとの二人作業になるから、つい甘えが出てしまうのだ。

午後からスタートし、作業終り頃になって、東映の大泉撮影所で作業だといっていた、Kが、ひよっこり顔を出す。効果音の制作が間に合わなく、作業が夜スタートに変更になったらしい。

この間も書いたように、東映、日活、日活、東宝と向こう4ヶ月のスケジュールがびっしり入り、ほぼ撮影所通いなのだが、うちの事務所の移転後の新年会を楽しみにしていて、自分の開いている2月のスケジュールを先回りして教える。

では、その条件に合わせるので、引越し手伝いにKを呼ぶことにする。ま、Sの人質のようなものだ。

Sは、今度引越し予定にしている場所が、ほぼ事務所使用に近いことや見晴らしがいいことに関心があるらしい。冗談で、物撮りなど簡単な資料撮影ができるように暗幕を張っておいたらとか、カウンターバーをつくったらなどという。だが、その最後にふと一言、真顔でつぶやいた。

「人が集まりやすい場所でないと、仕事はうまくいきませんよ…」。

どきりとした。その言葉に思い当たることが多々あったからだ。

最初の事務所は広尾のワンルームだった。マンションタイプの住宅使用を目的としたものだった。それが、結局、自宅に帰らなくてもいいという環境になり、次第に帰宅することが少なくなった。それでいながら、広尾の駅と恵比寿駅の真ん中くらいで、人が出入りするのには、親しい連中でないと不便だった。

6年後、よせばいいのに、後輩の制作仲間に会社をやろうといわれて、法人化して移転したのが、乃木坂。青山墓地側の出口を出て、路地にはいった住宅街の半地下のオフィスだ。このときは、オフィス仕様ということで、いま考えれば、当初、人の出入りは多かった。

だが、オレがプライベートであれこれあり、再び、事務所に泊まったりするようになると、次第に人の出入りも少なくなり、スタッフを抱えていながら、売上げは大きく伸びなかった。結局、リストラし、経費削減のために、住まいにしていた、いまの事務所に事務道具を入れたのだ。

つまり、オレはこれまで、セカンドハウスのようにしか、事務所を使ってきていない。自宅兼事務所といいうのは、オレの周囲にもよくあるが、オレの知る限り、それで仕事がうまくいっている奴はほとんどいない。一時期はよくても、結局、仕事が先細りしている。

年末から年始にかけ、実は、移転については悩み続けていた。いまもわずかながら迷いがある。

オヤジの思いは、そのまま亡くなったおふくろや義父の思いでもあるし、先行きの見えない、いまの時代、冷静に考えれば、得意先のYさんの発言になるのもわかる。オレが逆の立場で相談されたら、まずは、自宅のある相模原当たりの近いところでいいではないかと話すだろう。

一方で、Sが指摘するように、人が集えるところには何かが生まれる。現実に、乃木坂といういまの拠点を持ったことで、出会えた人間や交流を深めることのできた人は少なくない。

不思議なものだ。オヤジが年始の電話でオレにいった言葉が、そのままこの数日間、人と出会う度に思い返される。「最後の最後まで、考えて、悩め…」。

それは、オレがどこに事務所を移すにせよ。いままでの仕事のあり方、仕事や生活の姿勢を見直せということだと思う。いままで、事務所の移転で人に相談したことも、悩んだこともない。

たまに手伝いにきてくれるかみさんもいっていた。そんなに悩んで、先々のことを考えている姿を見たことがない。だが、家族のことも考え、いろいろな人の思いに気をはせている姿から、すべてを大事に考えていることがわかる…。乃木坂には、何年もかけて生まれた人のつながりという宝がある。それは、かけがえのないものだということも、かみさんはわかっている。

心配してくれる人、励ましてくれる人、冷静な意見をいってくれる人、次々にオレの前に、菩薩が現われる。

心をつくらせてもらっているのだと、つくづく思う。移転の場所ではなく、その前に、心を変えるスイッチを入れろといわれている。