秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

作家の根性

早朝から仕事収めの官庁街へ。文部科学省で自主制作の公民科副教材の撮影。

これまで官僚に丸投げだった予算編成が、今回から、議員主導となり、議員自らが官僚並に、稟議書や資料に目を通し、一件一件、内容を吟味した上で、官僚との省庁内調整協議、関係閣僚との詰めなど、やらなくてはならなくなった。

さらには、年明けの通常国会へ向けた、予算審議のために、答弁内容についても事前準備がいる。これは、戦後民主主義政治が始まって以来のこと。大臣や副大臣政務官など、議員が年末年始、官僚並に忙殺されたのは、初めてのことだ。

その中でも、大臣はもとより、補佐する副大臣政務官は、自公連立政権時代では想像もつかないほど、睡眠時間もまともにとれない、異常ともいえる忙しさの最中にある。藤井財務大臣が昨日、体調を壊し、検査入院したが、藤井大臣に限らず、民主党連立政権の閣僚は、想像を絶する勤務状態にあるのだ。

オレの主宰するシンポに参加してくれた当時から、民主党の論客の一人で、高校までの公教育の無料化、医師の過重労働の軽減と医師不足の解消などを提言し、影の文部科学大臣だった、鈴木寛氏。いまは、文部科学省副大臣。彼が構想した政策は、すべて来年の本予算に盛り込まれている。

二年ぶりの再会。だが、明らかに、いつもの鈴木氏ではない。仕事の疲れがピークにきている。と見えた。それでも、なんとかスケジュールを調整して、年末ギリギリ、取材の時間をとってくれたのだ。

だが、疲れていても、明晰さは、やはり健在で、大した下打ち合わせもしていなかったが、こちらの取材に実に的確な答え。そのキレのよさは、氏とも交流が深い、社会学者の宮台氏と共通したものがある。宮台氏が鈴木氏を高く評価しているのも、頷ける。

本当に優秀な人材というのは、どのような立場になっても、その肩書きやキャリアで物を言うのではなく、自身の言葉で、物が語れる人間だ。と、オレは思っている。与えられた情報やデータに頼り、ありがちな言葉で物を語るのではなく、こちらの意図を汲み取りながら、自身の学習と経験で物を語れる人間だ。

学習と経験の中での言葉だから、見識の広さが感じられ、その広さによってこちらの意図しているものや世界が理解できる。逆に、それがない、つまり、見識が狭く、知識が偏った人間は、空気が読めず、自分の世界観や常識に縛られ、自由で柔軟な発想や発見ができない。相手の考えや意見の奥にあるものを読み取る力、洞察力にも欠ける。

昨日、半月をかけて準備したコンペ企画が、負けた。かなりの自信があって、敗北するとうのは、これが2回目。一度は、デキレースで、事前に発注先が決まっていた気配があったと、後で裏情報の報告を受けたから、実質的には初めてといっていい。いまでも、コンペには、そうした策略が生きている場合がある。

しかし、今年、農水省と今回で2連敗。農水省で敗北したときは、合点がいった。自分の専門分野でも得意分野の仕事ではなかったらからだ。ある意味、仕事と割り切って取り組んでいた分、熱意もなかったと思う。

今回は、オレ自身、思い入れが深く、いつものコンペとは比べ物にならないほど、時間と手間をかけた。だから、無念ではあるが、ある意味、悔いはない。これで通らないなら、オレの作品にはならないと思えるからだ。

オレのいけないこところでもあるし、オレがオレであるゆえんでもあると思っていること。それは、オレ自身の作家としてのメッセージだ。提供される題材はまちまちであっても、それをモチーフにして、制約はあるが、自分自身の言葉で作品をつくりたい。その思いが、オレは強い。

しかし、行政や団体によっては、そうした作家性を嫌う場合があるし、作家性があるゆえに、それが形になったのときの姿が読めず、説得力や訴求力を疑われる。それは、単にあなたひとりの考えに過ぎないものではないのか。その疑念といつも向き合わされる。

事務的で、官僚的に、物事をとらえる人間にはその傾向が強い。基軸がひとつでは、安心できないのだ。

啓発作品というのは、どこかで、当たり障りなく、全体の合意を大事にするという傾向が強い。そこを闘いの場にしている以上、そうした体質を否定はしないが、それでも、なんとか突破できないかとあがくのが、オレのやり方。

当たり障りなく、全体の合意を大事に、では、観る人の心に届きはしない。それは、オレが確信として持っている。思い入れを感じられるテーマであれば、なお、その確信が全面に出る。たぶん、それが今回は、禍した。

プレゼンテーションでの質疑応答を振りかえると、思い当たる節がある。こちらのその確信の根拠を疑問視する質問がいくつかあったからだ。そう思わせた、資料の提供の仕方、プレゼンのあり方には、反省が必要だと素直に思う。悔いが残るとすれば、そのことだ。

たぶん、オレがこれで十分、理解されると思っていたことが、作家的目線になり、結果的に彼らを置いてきぼりにしてしまったのだと思う。つまり、やっていたつもりでも、彼らの立場からすれば、説明に欠けていた。

世に専門家や識者と言われる人間は多いが、それ以外の分野に目を向けて、多様な情報と知識を持ち合わせている人間は、実は、驚く程少ない。だから、行政団体へのプレゼンでも、一からわかるようにという配慮が必要なのだ。

それが、鈴木氏や宮台氏、斎藤環氏、尾木直樹氏など、打てば、応えるという優秀な人材と出会っているせいで、どうしても、その物差しが出てしまう。相手の物差しに合わせるということが、やっているつもりでも、届いていないのだ。

作家性のこだわりと他者である読者や視聴者への配慮とは、矛盾してはいけない。だが、作品の内実が読者や視聴者を決定する以上、すべての人間に応えられる配慮というのは、実はありえないのだ。最後には、やはり、読者、視聴者の良識や知識、情報、体験など学習の質を問うことになってしまう。

作家性にこだわれる仕事を棚上げにして、食べるための仕事をする。

その矛盾とジレンマに、また遭遇した年末。来年のオレの生きるべき方向性を強く示唆された、いい体験だったと思う。

来年は、オレの作家としての根性が問われる年になる予感がする。

ことわっておくが、負けた作品ではあるが、制作されていれば、対象になっていた高齢者には、どこの企画よりも、確実に受け止められ、説得力のある作品になっていた。

その確信は、揺るがない。